京都市祇園新橋

―京都市祇園新橋―
きょうとしぎおんしんばし

京都府京都市
重要伝統的建造物群保存地区 1976年選定 約1.4ヘクタール


 京都有数の繁華街、祇園。そこは祇園社(現在の八坂神社)の門前町としての起源を持ち、江戸時代の中期以降は茶屋町として発展した歴史を有する町である。かつて茶屋町は日本の各地に存在していたが、現在はそのほとんどが姿を消し、六ヶ所の茶屋町が存在していた京都においても、茶屋建築が良好な状態かつまとまって残る場所は多くない。そのような中、祇園の一角に位置する新橋通りの界隈には、今もなお極めて質の高い、洗練された意匠の茶屋建築が連なっている。その華やかながらも品の良いたたずまいの町並みは、江戸時代末期から明治時代において隆盛を極めた、茶屋町としての祇園の姿を今に留めるものとして極めて貴重な存在だ。




茶屋建築が建ち並ぶ、新橋通りの町並み

 祇園の中心的存在である祇園社は、社伝によるとその創建は飛鳥時代の斉明天皇2年(656年)だというが、本格的な発展を遂げたのは平安時代の中期以降である。その西側には門前町が発達し、鎌倉時代には既に市街地の様相を呈していた。しかし室町時代の応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱によって、その町は灰燼に帰してしまう。江戸時代に入ると、鴨川の河川敷に歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居小屋が建ち大いに賑わったが、寛文10年(1670年)に行われた鴨川の堤防築造により、それらの芝居小屋は四条河原町へと移転。それと時を同じくして鴨川東岸の大和大路沿いに祇園社の参拝客や芝居客相手の茶屋町が作られるようになり、それらは「祇園外六町」と称された。




建築様式、軒の高さがほぼ同じで極めて統一感がある

 その後の享保17年(1732年)になると、幕府より正式な茶屋営業の許可が下り、新たに元吉町、橋本町、林下町、末吉町、清本町、富永町の「祇園内六町」が開発された。現在の祇園新橋は、このうちの元吉町にあたる。祇園の茶屋町は、川原町の芝居小屋、およびその芸能と密接に関係し合い、一大文化を築いていった。それは江戸時代末期から明治時代初期にかけて最盛を迎え、江戸末期には500軒もの茶屋が祇園にひしめいていたという。戦後になると、祇園一帯は歓楽街として乱開発が進み、数多くの茶屋がビルに取って代わられたものの、祇園新橋の人々はかつての茶屋の町並みを守り続け、昭和51年(1976年)には初めて選定された重伝建地区の一つとなった。




白川沿いに連なる茶屋と梅の花

 祇園では幕末の元治2年(1865年)に大火が起きており、故に現在見られる祇園新橋の町並みはその後の江戸末期から明治時代にかけて再建されたものである。祇園新橋重伝建の選定範囲は、新橋通りとその南を流れる白川沿い、東西約160メートル、南北約100メートルの範囲である。その面積は1.4ヘクタールと小ぶりであるが、伝統的建造物の比率は7割と非常に高い。なお、現在は白川の北岸に沿って白川南通りが通っているが、この道路は第二次世界大戦中に建物疎開(延焼を防ぐ為に建物を壊して空き地を設ける事)で作られた道であり、本来は白川の両岸に茶屋が建ち並んでいた。現在、その白川南通りには桜と柳の木々が植えられ、春には桜の名所として賑わう。




新橋通りの入口に鎮座する辰巳巽稲荷

 祇園新橋の茶屋建築は、そのほとんどが桟瓦葺の平入り切妻造である。一階部分にはベンガラの千本格子がはめられ、牛馬を繋ぎとめる為の駒寄(こまよせ)が備わる。接客の座敷を二階に設ける事から、通常の町屋よりも二階の立ちが高い本二階建であり、また同様の理由から二階には手摺付きの縁側を張り出し、目隠しの為のすだれがかけられている。江戸時代には、町人が武士を高い所から見下ろすのは失礼との事から本二階建てが禁止されていたが、茶屋だけはこれが許可されていた。二階への階段を上がった所には三畳程の板間が存在するが、これは芸妓が舞を踊る為の場所である。現在も階段途中の板間の事を「踊り場」と呼ぶが、それはこれに由来するという。




巽橋へと通じる「切通し」の小路

 新橋通りと白川南通りの合流地点には、辰巳稲荷という小ぢんまりとした神社が鎮座する。辰巳という名の通り、本来は寺院や屋敷などの南東(辰巳の方角)を守護する為の社であったが、芸妓や舞妓など、祇園芸能に携わる人々の信仰を集めているうちに、いつの間にか芸の上達を祈願する神社に変化したという。現在では祇園新橋のシンボルとして、祇園の人々や訪れる観光客に親しまれている。またこの辰巳稲荷の左手には、「切通し」と呼ばれる小路が白川を渡って続いている。巽橋という木橋が架けられているこの切通しには、大正時代に建てられた数奇屋風アレンジの町屋が並んでおり、新橋通りや白川沿いに連なる茶屋とはまた違った趣きの町並みを見る事ができる。

2007年02月訪問
2011年02月再訪問




【アクセス】

京阪電鉄京阪線「祇園四条駅」より徒歩約5分。

「京都駅」より京都市バス「100系統」「206系統」で約15分、「祇園バス停」下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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