金剛三昧院多宝塔

―金剛三昧院多宝塔―
こんごうさんまいいんたほうとう

和歌山県伊都郡高野町
国宝 1952年指定


 平安時代の延暦23年(804年)、弘法大師空海が開いた真言密教の根本道場、高野山。そこには真言宗の総本山である金剛峯寺を始め、数多くの寺院が織り成す一大信仰景観が広がっている。高野山南端部、メインの通りからやや奥まった場所に座する金剛三昧院は、高野山内に数多く存在する金剛峯寺の子院の一つである。高野山は山上に位置するが故、落雷などによって度々大火が発生したが、他の寺院から若干外れた場所にある金剛三昧院はそれらの火の手を免れ、鎌倉時代から江戸時代にかけての建造物、寺宝が多数現存している。特に金剛三昧院の創建当時に建てられた多宝塔は高野山に存在する建造物の中でも最古級のものであり、国宝に指定されている。




金剛三昧院多宝塔
石山寺の多宝塔と共に、多宝塔の古式の姿を今に伝える

 高野山から熊野へと至る古道、小辺路(こへち)の入口にたたずむ金剛三昧院は、鎌倉時代の建暦元年(1211年)に尼将軍こと北条政子(ほうじょうまさこ)によって創建された禅定院(ぜんじょういん)をその起源とする。禅定院は夫の源頼朝(みなもとのよりとも)を弔う為の寺院であったが、承久元年(1219年)に息子である鎌倉幕府三代将軍の源実朝(みなもとのさねとも)が暗殺されると、改装して金剛三昧院とした。以降は幕府の庇護のもとに隆盛を極めたという。なお、創建時の金剛三昧院は真言宗ではなく禅宗の寺院であったが、時代を経るにつれ真言密教などとの兼学道場となり、その後は禅宗要素を他寺に移して真言宗の寺院に改められ、金剛峯寺の子院に組み込まれたのだ。




多宝塔の下層部分
蟇股の意匠などに鎌倉時代初期の特徴が見て取れる

 金剛三昧院多宝塔の建立は貞応2年(1223年)、禅定院が金剛三昧院へと改められたその際に、源実朝の菩提を弔う為に建てられたものだ。これは建久5年(1194年)に建てられた滋賀県の石山寺多宝塔に次いで二番目に古い多宝塔となる。多宝塔とは、下層が方形、上層が円形の平面を持つ二重塔の事で、高野山の壇上伽藍に根本大塔として建てられたのを起源とし、その後全国の密教寺院に広まった日本独自の仏教建築である。金剛三昧院の多宝塔は、総高が約14.9メートル。石山寺の多宝塔と同様、下層の裳階(もこし)が広く作られており安定感がある。また総高に比べて下層が低く、かつ上層部は小ぶりで引き締まった形状をしており、可憐で優美な印象を受ける。



四手先の組物を持つ上層部分

 金剛三昧院多宝塔の組物は、上層は極めて複雑な四手先だが、下層は簡素な平三斗である。元々多宝塔は、インドのストゥーパを原型に持つ宝塔に下層と裳階を付加した建築であり、すなわちその肝は上層部分にある。その為古式の多宝塔は下層が低く、裳階の組物も簡素なものに抑えられているのだ。内部は四天柱を立てて須弥壇を置き、創建当時に作られた五智如来坐像(重要文化財)を安置している。五智如来(ごちにょらい)とは、大日如来を中心に、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来を配した五仏であり、密教における5つの知恵を表したものである。また、内部の柱や梁などには、菩薩や宝相華文様などが極彩色で描かれており、状態良く保存されている。




美しくたたずむ金剛三昧院の客殿

 前述の通り、大火の被害を受けなかった金剛三昧院には数多くの文化財が残されている。建造物に限っただけでも国宝に指定されている多宝塔の他、多宝塔と同じく金剛三昧院の創建時に建てられた校倉造の経蔵、室町時代後期の天文21年(1552年)に建てられた金剛三昧院の鎮守社である四所明神社(ししょみょうじんしゃ)本殿、および江戸時代前期の1615年から1660年頃に建てられた客殿がそれぞれ重要文化財に指定されている。このうち客殿は高野山内に存在する客殿建築として最古のもので、その規模も大きく意匠も優れている。大広間には室町時代中期に活躍した小栗宗丹(おぐりそうたん)の筆による襖絵が残されており、これもまた重要文化財に指定されている。




金剛三昧院の境内奥に建つ、鎮守社の四所明神社

 金剛峯寺の子院は現在117ヶ寺存在するが、江戸時代末期には600ヶ寺以上もの子院が高野山に建ち並んでいたという。しかしながら、明治時代に入ると寺領が没収されて各子院は経済的な基盤を失い、明治24年(1891年)には130ヶ寺にまで減ってしまう。現存する金剛三昧院以外の主だった子院としては、空海が高野山を開いた際に住居としていた庵を起源とする竜光院、空海が天長元年(824年)に別坊として開いた遍照光院、重要文化財の四脚門を持つ普賢院などがある。普賢院の四脚門は、元は江戸時代初期に徳川家康を祀る為に建てられた興山寺東照宮の唐門であったが、明治時代の神仏分離令により興山寺東照宮が廃された後、大火で堂宇を失った普賢院に移築されたのだ。

2008年06月訪問
2011年06月再訪問




【アクセス】

南海高野線「極楽橋駅」より南海ケーブル「高野山駅」までケーブルカーで約5分、「高野山駅」より南海りんかんバスで約10分「小田原通りバス停」下車、徒歩約5分。

【拝観情報】

拝観無料、拝観時間は8時〜18時。

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