―金地院庭園―
こんちいんていえん
京都府京都市 特別名勝 1954年指定 臨済宗南禅寺派の総本山、南禅寺の塔頭の一つである金地院。その金地院の境内中央に位置する方丈の前には、見事な枯山水庭園が広がっている。鶴亀の庭という名で知られているその庭園は、作事奉行として数々の建築や庭園の建築に携わった小堀遠州が作庭したものであり、江戸時代初期を代表する枯山水庭園として名が高い。 もともと金地院は、室町幕府4代将軍足利義持によって洛北に建立された寺院であった。その後、江戸時代に入った慶長10(1605)年、徳川家康に篤い南禅寺の住職、以心崇伝(いしんすうでん)によって現在の位置に移転され、南禅寺の塔頭となった。この崇伝は「黒衣の宰相」との異名を持ち、政治家として様々な幕政に関わった人物である。 金地院の方丈庭園は、徳川家光が上洛した際に見てもらうため、崇伝が小堀遠州に作らせたものであった。その作庭は寛永4(1627)年から5年もの月日をかけて行われたのだが、この庭の完成まもなく寛永10(1633)年に崇伝は死去してしまう。崇伝本人は完成した庭園を一度も見ることはなく、また家光に見せるという願いも叶わなかった。 その庭は鶴亀の庭と呼ばれている通り、大海を表す白砂の奥には鶴島、亀島と呼ばれる石組みが組まれている。このうち鶴島は巣篭もり中の鶴の姿、亀島は海に潜ろうとする亀の姿を表したものであるという。鶴島に植えられた松は青々とした葉が鶴の羽のように茂っており華やかであるのに対し、亀島に植えられている松は葉が無く、それぞれ違った雰囲気を醸している。 また鶴島と亀島の間には、仙人が住むという蓬莱山を表した石組みが配されている。庭園の背後にはこんもりとした木々が折り重なるように植えられているが、これもまた深山幽谷の光景を模したものである。それらの表現するところは神仙蓬莱思想の世界。そこには、不老不死である仙人になぞらえ、徳川家永遠の繁栄の願いが込められている。 また、それら庭園背後の木々は枯れる事の無い常緑樹であるが、それもまた幕府永続の思いの表れである。かつてはそのさらに後ろに、境内奥に祀られている東照宮が望めたというが、現在は成長した木々により隠れてしまっている。庭園内、蓬莱山の石組みの前には、長方形の平べったい石が置かれているが、これは東照宮への祈りを表す遥拝石である。 2008年02月訪問
【アクセス】
京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」から徒歩約5分。 「京都駅」から京都市営バス5系統で約40分、「南禅寺・永観堂道バス停」下車、徒歩5分。 【拝観情報】
拝観料400円、拝観時間は8時30〜17時。 ・南禅寺方丈(国宝建造物) ・京都岡崎の文化的景観(重要文化的景観) Tweet |