桜川市真壁

桜川市真壁さくらがわしまかべ

茨城県桜川市
重要伝統的建造物群保存地区 2010年選定 約17.6ヘクタール


 茨城県の中南部に聳える筑波山の北側に位置する真壁の町は、近世から近代にかけて周辺地域における物資の集散地として栄えた在郷町である。戦国時代に整備された真壁城の城下町を起源としつつ、江戸時代初頭に設置された陣屋を中心とする町割が今もなお良好に残されており、天保八年(1837年)の大火後に築かれた蔵造くらづくり真壁造しんかべづくりの町家を中心に、大正時代以降の煉瓦造や石造の蔵、昭和初期の洋風建築など多種多様な伝統的建造物が現存している。筑波山の北麓地域における在郷町の歴史的風致を今に伝える町並みが見られることから、江戸時代の真壁中心部にあたる東西約550メートル、南北約520メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




真壁町のランドマーク的な存在である「旧真壁郵便局」(国登録有形文化財)

 平安時代末期、常陸平氏の流れを汲む多気直幹たけなおもとの四男・多気長幹たけながもとが郡司として真壁郡に入り真壁氏を名乗った。以降、真壁氏は当地を基盤とする武士団に成長し、室町時代後半の15世紀後半頃から筑波山系足尾山の西麓に真壁城を築いて居城とした。天正18年(1590年)に後北条氏が滅亡すると常陸全体を領した佐竹氏の家臣となり、江戸時代初頭の慶長七年(1602年)に佐竹氏が秋田角館へ移封となると、真壁氏もまた主君と共に移っていった。慶長11年(1606年)には浅野長政あさのながまさが隠居料として真壁を拝領して真壁藩が成立、三男の長重ながしげが跡を継いで二代藩主となった。この頃、城に代わって陣屋が設置され、元和八年(1622年)に長重が笠間へ入封となると、真壁は笠間藩領に編入された。




通りに沿って連なる「村井醸造」の土蔵
筑波山系は水質が良く、近江から真壁へ移った人々が酒造を営んだ

 江戸時代の真壁は陣屋を中心に、東西に伸びる四本の主要な通りに沿って上宿町かみじゅくちょう下宿町しもじゅくちょう高上町たかじょうまち仲町なかまち新宿町しんじゅくちょうの五町が形成されていた。この町割は遅くとも慶長20年(1615年)には成立していたと考えられており、現在もほぼそのまま継承されている。笠間藩領になってからも周囲に大きな町場が成立しなかったことが幸いし、真壁は引き続き周辺地域の経済や文化の中心を担っていった。特に上方から北関東や東北へと木綿を販売する中継地として繁栄し、江戸時代中期の元禄期には各町で開催される定期市が月12回を数えるなど大いに賑わいを見せた。当時の町並みは茅葺の家屋が主であったと考えられるが、天保八年の大火を契機として火災に強い蔵造の町家が普及していった。




陣屋前通りに建つ「木村家住宅」(国登録有形文化財)
天保の大火以降、嘉永6年(1853年)までに築かれた江戸末期の蔵造である

 明治四年(1871年)に陣屋が廃止されると、その跡地には茨城県真壁支庁舎や真壁小学校が開設され、その後、昭和二年(1927年)の真壁尋常高等小学校移転に伴い西半分が宅地開発された。明治の近代化により機械式の製糸工場が建設されて製糸業が盛んとなり、仲町と下宿町を南北に結ぶ「御陣屋前通ごじんやまえどお」には呉服太物商が軒を連ねた。また洋風建築の建設による石材の需要増加に伴い、周囲の山々から産出される真壁石(花崗岩)の石材業が勃興。「旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)」(国宝)や「法務省旧本館」(重要文化財)など東京の名だたる近代建造物に利用された。大正七年(1918年)に筑波鉄道が真壁まで開通するとその生産量はさらに増大し、真壁は隆盛を極めることになる。




明治中期に築かれた「伊勢屋旅館」(国登録有形文化財)
当初は真壁で最も名の知られた料亭「勢州楼」であった

 各家の地割は短冊形を呈しているが、高上町以外では通りの両側で奥行が異なる家が多い。通りに面して主屋を建て、背割に接して土蔵を配すのを基本とするが、間口が広い家では主屋の脇に薬医門を構えたり、さらに間口が広い家では袖蔵や脇蔵を建てて塀を巡らすなど、地割に応じて建物の配置が異なるなど多様性のある町並みとなっている。一般的な町家の平面は正面側の店舗部と奥の住居部に分かれており、店舗部を二階建て、住居部を平屋建とする。店舗部を蔵造とするものは切妻造もしくは入母屋造の平入、屋根は桟瓦葺で外壁を塗り籠める。明治以降は店舗部を本二階建、前面を真壁、出桁造とするものが多く、妻壁のみ漆喰で塗り籠める家もある。




御陣屋前通りと下宿通りの辻に位置する潮田家住宅(国登録有形文化財)
明治43年(1910年)に築かれた、かつての呉服太物商である

 昭和末期には鉄道の廃線や石材業の衰退により賑わいが失われつつあった真壁であるが、歴史ある町並みを後世に残すべく平成5年(1993年)に「ディスカバーまかべ」が発足。地道な活動により平成18年(2006年)には国登録有形文化財の数が104棟にも及んだ。真壁の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは平成22年(2010年)6月29日であるが、その間もなくの平成23年(2011年)3月11日に東日本大震災が発生。東日本の広域に甚大な被害をもたらし、真壁においても伝統的建造物の9割以上が被害を受けた。県や国の支援を受けつつ災害復旧事業が進められ、現在はほとんどの歴史的建造物の復旧が完了しており、並行して通常の修理や修景が進められている。

2011年08月訪問
2024年10月再訪問




【アクセス】

・つくばエクスプレス「つくば駅」より、つくば市北部シャトルバス「筑波山口行き」で約50分、「筑波山口バス停」下車、レンタサイクル(12月29日〜1月3日休業)で約50分。
・JR水戸線「岩瀬駅」より、レンタサイクル(8月13日〜16日および12月31日〜1月3日休業)で約1時間。
・イベントがあるときには「岩瀬駅」や「筑波山口バス停」から臨時バスが利用可。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【参考文献】

・「月刊文化財」平成22年7月(562号)
・「月刊文化財」令和7年11月(746号)
桜川市真壁|国指定文化財等データベース
真壁城跡|国指定文化財等データベース
旧真壁郵便局|国指定文化財等データベース
木村家住宅(小田部生花店)見世蔵|国指定文化財等データベース
伊勢屋旅館主屋|国指定文化財等データベース
潮田家住宅見世蔵|国指定文化財等データベース
桜川市真壁伝統的建造物群保存地区|桜川市
真壁石の歴史|真壁石材協同組合