―早川町赤沢―
はやかわちょうあかざわ
山梨県早川町 重要伝統的建造物群保存地区 1991年選定 約25.6ヘクタール 山梨県南部、周囲を緑深い山々に囲まれた斜面にぽつんと開ける一帯がある。早川町赤沢集落である。今では静かな山間の集落というたたずまいを見せる赤沢は、かつては七面山を参拝する講(遠くの聖地を参拝するための信仰グループ)の宿泊所として発展した講中宿であった。 日蓮宗総本山の久遠寺がある身延山と、身延山の守護神七面大明神を祀る七面山、その二つの聖地を結ぶのは身延往還と呼ばれる参詣道である。赤沢は身延往還の途中に位置している。参拝客は身延山から奥の院まで歩き、そこから赤沢に下りて一泊したのち、翌日七面山へと向かって行くのが一般的な参拝ルートであった。 赤沢が最も賑わっていたのは、七面山参拝が盛んに行われた江戸末期から大正時代にかけてのことである。明治時代の初め、赤沢には9軒の旅籠があったが、それでも足りないほどであったという。しかし昭和に入り道路が発達すると山間の赤沢は取り残され、衰退していく。現在も赤沢には数多くの旅籠建築が残されているが、旅館として営業しているのは江戸屋一軒だけである。 江戸後期、赤沢の旅籠建築は木羽(薄い木の板)葺きの平屋建てであった。明治から大正にかけて、参詣客の増加と共に総二階建てとなり、屋根は当時最先端の素材であったトタンが使用された。重伝建では、使用できる建築素材が伝統的なものに限定されているのだが、赤沢ではその歴史背景よりトタン屋根の使用が認められている。 赤沢の旅籠は、座敷周囲に深い軒と土間をめぐらし、一度に大勢の参拝客が出入りできるようにしているなど、講中宿独特の造りを持っている。その軒下には各講の名が記された講中札がずらりと掲げられているが、これはその講の常宿であることを示す為のものだ。 赤沢の集落は、大きく上村と下村に分けることができる。比較的斜面が緩やかな下村では、建物が塊状に密集し、山間集落らしい景観を作っている。上村では身延往還の石畳に沿い旅籠が並び、周囲の山の風景と相まって豊かな情緒を醸し出す。さらにその上となると、あとはもう茶畑広がる急勾配の登山道。山の上へ伸びてゆく道は、身延山へと繋がっていく。 2007年03月訪問
【アクセス】
JR小浜線「身延駅」から早川町乗合バスで約50分、「七面山登山口・赤沢入口バス停」下車、徒歩約20分。 【拝観情報】
町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 Tweet |