―倉吉市打吹玉川―
くらよししうつぶきたまがわ
鳥取県倉吉市 重要伝統的建造物群保存地区 1998年選定 約9.2ヘクタール 鳥取県中央部、日本海沿いの山陰道からやや外れた小盆地に倉吉はある。その中でも打吹玉川地区はかつての倉吉の中心地にあり、江戸時代末期から大正時代には商家町として栄えていた一角である。今でも東西に流れる玉川沿いの通りには、商家建築や白壁の土蔵が並んでおり、往時の様子を垣間見ることができる。 打吹玉川地区の南にそびえる打吹山には、かつて打吹城という山城が存在していた。それは南北朝時代に山陰地方で力を持っていた山名氏が築いたものである。安土桃山時代になると打吹城は南条氏の支配下となり、近世城郭として整備され、同時に城下町も整えられた。その打吹城の城下町こそが、今の打吹玉川の原型であるという。 以降、倉吉は城下町として続いていたが、江戸時代末期になると稲嶋大助という人物が倉吉絣(くらよしがすり)という織物を生み出し、これが人気を得て商業が発展。倉吉の商人たちは倉吉絣や、明治時代に倉吉で発明された農具である稲扱千刃(いなこきせんば)などの取引で財を成し、倉吉は江戸時代末期から明治時代にかけて商家町として賑わいを見せた。 しかし、大正時代に入ると機械化の波が押し寄せ、技術が難しく機械生産に順応できない倉吉絣はあえなく衰退、倉吉の商家はそれと共に廃れてしまう。しかし幸か不幸かそれゆえ開発による町の近代化が抑えられ、結果的に当時の町並みを今に残すこととなる。 打吹玉川の目抜き通りである本町通りには、約600mに渡って多彩な様式を持つ商家の町並みが続いている。主となる建築は二階建てもしくは厨子二階ての切妻平入。軒には海老のようにS字に曲がった海老虹梁という腕木や持送り板を持ち、出格子や腰格子がはめられている。また赤い屋根瓦が特徴的だが、これは石州瓦という寒さに強い山陰特有の瓦だ。 玉川沿いやその付近に建ち並ぶ土蔵は、醤油屋や酒蔵の醸造蔵および倉庫蔵などである。黒い腰板に白壁、赤い石州瓦の屋根と、多彩な色を持つそれらの土蔵群は、石橋のかかる玉川や辺りに漂う醤油や酒の香りなどと相まって、打吹玉川特有の町並み景観を作り出している。 2008年08月訪問
【アクセス】
JR山陰本線「倉吉駅」より日本交通バス「堺町方面行き」で約15分、「堺町バス停」または「赤瓦・白壁土蔵バス停」下車、徒歩約5分。 【拝観情報】
町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 Tweet |