桐生市桐生新町

―桐生市桐生新町―
きりゅうしきりゅうしんまち

群馬県桐生市
重要伝統的建造物群保存地区 2012年選定 約13.4ヘクタール


 足尾山地の南西麓、群馬県の東端に位置する桐生市は、古来より絹織物の地として知られてきた町である。その中心は桐生天満宮から南へ延びる本町通りであり、桐生はこの町筋をメインに江戸時代から昭和初期にかけて発展した。明治22年(1889年)に鉄道が開通して市街地の中心が南へと移り、また昭和40年頃の道路拡張によって本町通り南側の古い建物は失われてしまったものの、北側には今もなお近代以降に建てられた伝統的建造物が数多く残されている。また裏通りには、大正時代から昭和初期にかけて建てられたノコギリ屋根の織物工場が散在しており、通り沿いに建ち並ぶ重厚な商家や土蔵と相まって、織物業の町らしい特徴的な町並みを目にする事ができる。




桐生本町一丁目の町並み
本町通りの突き当りには桐生天満宮が鎮座する

 桐生における絹織物の歴史は極めて古く、奈良時代には既に朝廷へ絹を献上していた記録が残されている。南北朝時代から戦国時代にかけては桐生氏がこの地を支配していたが、桐生氏は天正元年(1573年)、由良氏によって滅ぼされた。天正18年(1590年)に関東一円を統治していた北条氏が豊臣秀吉に倒されると、秀吉の命によって徳川家康が江戸へと入り、桐生もまた徳川家の領土となる。桐生新町が形成されたのはそれ以降の事であり、慶長11年(1606年)までには完成していたと考えられている。その開発にあたったのは、大久保長安の命を受けた大野尊吉だ。尊吉は久方村(新町の東にあった村)の天満宮を現在地に移し、その南に一丁目から六丁目までの町場を開いた。




桐生新町の町並みは多種多様な建物が並んでいるのが特徴だ

 桐生の織物業は江戸時代もまた盛んであった。正保3年(1646年)には天満宮に織物市が立つようになり、その後は六町内を循環する市となって織物の取引が行われていた。江戸時代後期の天保12年(1841年)には幕府によって贅沢を禁じる奢侈禁止令が出され、またや安政6年(1859年)に横浜港が開港された事で輸出に伴う生糸の不足が生じ、絹織物の生産は一時期低迷する。しかし明治時代に入ってからは生糸の代わりに洋糸を使用した絹綿繻子(けんめんしゅす)の生産が盛んになり、桐生の織物業は多大なる隆盛を迎え「西の京都、東の桐生」と称されるまでに至った。また大正時代には機械化が進んで大規模な織物工場が建つようになり、桐生の織物業はピークを迎える。




大正9年(1920年)に建てられた旧矢野本店の煉瓦蔵
現在は有鄰館(ゆうりんかん)という名でイベントスペースに活用されている

 江戸時代初期に開かれた桐生新町(現在の町名は本町)のうち、一丁目と二丁目の全域に天満宮の境内地を加えた東西約260メートル、南北約820メートルの範囲が町並み保存地区である。江戸時代の町割は寛文7年(1667年)および安永9年(1780年)の史料に見られ、当時から現在までほぼ変化が無い事が確認できる。桐生新町は各戸の敷地が通りに面して直交しておらず、建物の表構えが少し傾いている事が多いのが特徴だ。また、かつては天満宮から通りの西側と敷地の裏手に沿って生活用水を供給する水路が通されていたが、昭和40年頃に行われた下水道の整備により廃止され、現在は天満宮の境内一部に開渠として残る以外には現存せず、水路跡は歩道となっている。




旧矢野本店の南側を通る小路

 本町通りに面して織物を取り扱う店舗や事務所が建ち、その背後に自宅や蔵、工場などを構える敷地割の他、戸建や長屋の借家を表に建て、背後に大家の自宅を構えている所もある。主屋は木部を露出する真壁造が基本であるが、漆喰を厚く塗り込めた土蔵造も見られる。平屋建て、二階建てのものが混在しており、また屋根も切妻造を基本としながら入母屋造や寄棟造のものも見られるなど、その様式は極めて多様で変化のある町並みとなっている。蔵は伝統的な土蔵に加え、石造や煉瓦造、当時最先端の建築技術であった鉄筋コンクリートのものも存在する。また敷地の南側は通路を設けるのが一般的であるが、その通路は現在も小路として残り、桐生の町並みに風情を与えている。




大正11年(1922年)に建てられた旧曾我織物新工場
建材には足尾山地東麓で採れる大谷石が用いられている

 ノコギリ屋根の織物工場は桐生市内に約260棟が現存するといい、そのうち保存地区内にあるのは3棟である。木造のものがほとんどであるが、大谷石を用いた石造のものや、木骨煉瓦造のものも存在する。ノコギリの歯のような独特な形状の屋根は、産業革命時代のイギリスで考案されたものだ。屋根の北側にのみ窓を設ける事で太陽の位置により取り入れる光の量が変化する事が無く、工場内は一日中均一な明るさとなる。それにより織物の色合いがチェックしやすく、均一な品質の製品を作る事ができるのだ。現在は現役の工場として使われているものの他、その広い内部空間を活かし、展示施設やイベントスペース、レストランなどとして活用されているものもある。

2008年03月訪問




【アクセス】

JR両毛線「桐生駅」より徒歩約30分。
駅構内に無料レンタサイクル有り。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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