横手市増田

―横手市増田―
よこてしますだ

秋田県横手市
重要伝統的建造物群保存地区 2013年選定 約10.6ヘクタール


 秋田県の南東部に広がる横手盆地、奥羽山脈と出羽山地によって囲まれた一帯は、日本有数の豪雪地帯にして米どころでもある。その南東部に位置する増田町は、江戸時代から昭和初期にかけて、周辺地域の流通拠点として栄えた在郷町である。現在も旧街道に沿って切妻屋根妻入の主屋が建ち並んでおり、特徴的な町並み景観を目にすることができる。また主屋の背後には、主屋から連続する屋根によって覆われた「内蔵」と呼ばれる鞘付き土蔵が設けられており、豪雪地帯ならではの広大な屋内空間を作り出している。それら内蔵を備えた商家建築がまとまって残る増田町の中心部、南北約420メートル、東西約350メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




中世から近世にかけて築かれた下夕堰
増田城の周囲に張り巡らされ、農業用水として利用された

 増田町は皆瀬川と成瀬川の合流点北側に位置しており、羽州街道沿いの十文字から仙台藩領の寒湯(ぬるゆ)へと至る小安街道上にある。南北朝時代の貞治年間(1362年〜1368年)、成瀬川南側の三又に居を構えていた小笠原義冬(おがさわらよしふゆ)が増田に移り増田城を築いた。その後、小笠原氏は北進してきた小野寺氏に敗れて南外村の楢岡城へ追いやられ、増田城には小野寺氏の家臣である土肥頼景(どいよりかげ)が入ることとなる。しかし小野寺氏は関ヶ原の戦いにおいて越後国の上杉景勝に通じたことにより、西軍方とみなされ改易された。佐竹氏の秋田移封に伴い佐竹東家の佐竹義賢(さたけよしかた)が増田に駐屯したが、元和元年(1615年)の一国一城令によって増田城は廃城となった。




切妻屋根妻入の主屋が並ぶ増田の町並み

 増田城が廃されてからも、増田は地域の中心としてあり続けた。寛永20年(1643年)から久保田藩の許可を得て朝市が開かれるようになり、物資の集散地として17世紀後半から18世紀にかけて大きく成長したという。明治維新後も商業地として発展を続け、米以外にも生糸や煙草などの取り引きが行われていた。明治28年(1895年)には現在の北都銀行の前身にあたる増田銀行が設立し、また専売制となった煙草の代替事業として増田水力電気会社が明治43年(1910年)に設立されている。さらには大正4年(1915年)、町の東に位置する吉乃鉱山で大鉱床が発見され、十文字駅と吉乃鉱山の間に位置する増田町は鉱山関係者で大いに賑わい、昭和初期まで最盛期を迎えることとなった。




裏門と板塀が連なる七日町の裏通り

 増田町の町割は今もなお近世末期のものを踏襲しており、L字型に伸びる旧街道に沿って各家の敷地が短冊状に切られている。間口は五間前後を基準とし、酒蔵など規模の大きな家では十間ほどになる。一方、奥行きは五十間から七十間と極めて長い。表通りに面して住居兼店舗の主屋を置き、その背後の空間も主屋から連続する建物で覆い、その内部に内蔵を設けるのが特徴的だ。建物が覆う範囲は敷地の半分以上にも及び、冬季に雪が積もっても作業が可能な内部空間を作り出している。背後の庭には外蔵(とぐら)と呼ばれる独立した土蔵や、離れなどの付属屋が配されており、裏通りに面した敷地背面に裏門や板塀を構える家も存在する。




妻面の化粧梁や装飾的な庇周りが印象的だ

 主屋は切妻屋根妻入の二階建てを基本とし、正面に奥行き一間程度の下屋を設けている。現在は鉄板葺きとなっているが、かつては杮葺(こけらぶき)であった。一階も二階も開口部は雨戸仕舞とし、破風付きの玄関を構える家もある。二階の正面には小庇を設けて張り出し内縁とする。小庇には垂木を入れたり、欄間を設けるなど装飾的だ。屋根の螻羽(けらば、妻側の端部)を大きくせり出すのも特徴で、妻面には実際の小屋組とは無関係の化粧梁を何段も重ね、梁首を突出させるなど見栄えを重視した作りになっている。また切妻屋根妻入の主屋以外にも、入母屋屋根平入のものや、漆喰で塗り篭めた蔵造のもの、パラペットを立ち上げた洋風建築も見られる。




明治中期に築かれた旧石平金物店の内蔵
風雪に晒されないことから、どの内蔵も状態良く残っている

 主屋の内部平面は一列三室もしくは四室とし、片側に通り土間を通している。最前面の下屋部分は土間とし、ミセ、ブツマ、オエ、イマと奥に続く。内蔵前はダイドコロであり、採光を確保するため窓を大きく開けられ、明るい空間を作り出している。内蔵は黒もしくは白の漆喰で塗られ、光沢が出るまで磨き上げられている。正面と背面に掛子塗(扉の縁に段差を設けて、外からの火が入らないように工夫した塗り方)の観音扉を備え、扉と壁の腰部分には漆で塗られた木枠で覆う。内蔵は二階建てであり、一階奥の二間ないし二間半に畳を敷き、床を構えた座敷にするものが多い。財力を誇示するべく良材をふんだんに用いて建てられており、木部を漆で塗ったものもあるなど非常に装飾的だ。

2015年10月訪問




【アクセス】

JR奥羽本線「横手駅」より徒歩約2分、「横手バスターミナル」より羽後交通バス「横手・小安線」で約35分、「四ツ谷角(増田)バス停」下車すぐ。
JR奥羽本線「十文字駅」より羽後交通バス「横手・小安線」で約10分、「四ツ谷角(増田)バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。