平戸市大島村神浦

―平戸市大島村神浦―
ひらどしおおしまむらこうのうら

長崎県平戸市
重要伝統的建造物群保存地区 2008年選定 約21.2ヘクタール


 江戸時代に長崎県の北部を治めていた平戸藩。その本拠地であった平戸島の城下町から、北へ約15kmの地点に浮かんでいるのが的山(あづち)大島だ。平地が少なく険しい地形が続く島のうち、南東部に深く切れ込んだ入江の奥に神浦の集落が存在する。江戸時代には玄界灘での捕鯨によって藩の財政を支え、また捕鯨が行われなくなってからも漁業と商工業を基盤に発展した港町である。上浦湾沿いのわずかな土地には、今もなお江戸時代中期から昭和初期にかけて建てられた町家が軒を連ねている。近世から近代にかけての港町の風情を留めていることから、集落の全体と上浦湾の水面域、および背後の旧耕作地を含む東西約700m、南北約650mの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




入江の周囲に家屋が並ぶ神浦の全体像
一見すると山村のように見えるが、右奥が海に繋がっている

 的山大島は遣明船の寄港地として知られており、中世末期には既に神浦の集落が成立していたと考えられている。江戸時代前期の寛永2年(1625年)には播磨国の横山甚五郎衛らが的山大島にて鯨組を組織したが、これは数年で廃業している。その後の寛文元年(1661年)、平戸藩の三代目政務役であった井元弥七左衛門義信が藩主の勧めによって捕鯨業に着手し、神浦湾の入口に位置する西泊浦(現在の鯨の浦(いさのうら))に鯨捌所を設置。神浦湾の海岸を埋め立てて倉庫や組網工場など捕鯨に関する様々な施設を整備された。この捕鯨業は多大なる成功を収め、的山や大根坂、和歌の浦といった島内各所の出漁拠点を含め、累計数百人を擁する一大産業へと成長した。




石積で護岸された神浦湾に面して家屋が並ぶ西片町

 かつては「鯨一匹捕れば七浦潤う」と言われ、的山大島の捕鯨業は平戸藩の財政を潤しつつ庶民の生活を助けていた。しかしながら、平戸藩内の鯨組のみならず五島藩や唐津藩などでも玄界灘での捕鯨が盛んに行われていたことから乱獲により捕鯨量が減少。井元氏は江戸時代中期の享保年間(1716〜1735年)に捕鯨業を廃業し、鯨組は解体された。各種捕鯨施設の跡地には新たな町家が築かれ、今に見られる町並みの骨格が形成された。その後も神浦は大きく変化することなく江戸時代中期からの町割が現在まで維持されており、鯨組の操業による繁栄と廃業を経て近世的な港町に変化していった集落の変遷を色濃く伝える町並みとなっている。




路地に面して古民家が密に残る中本町通りの町並み

 神浦の集落では、神浦湾へと流れ込む東流川および西流川に沿って路地が東西に伸びている。東流川の北側には中本町通り、南側には宮崎町通りが続いており、また西流川の南側には西中町通り、その中程から北に向かって西横町通りが伸びている。いずれも路地の山側が旧来の土地であり、敷地に余裕がないことから奥行きが浅く二部屋を並べる主屋のみの家が多い。一方で海(川)側は鯨組の創業時に埋め立てられて形成された土地であり、敷地に余裕があることから奥行きが深くて三部屋を並べる主屋が多く、敷地の裏手に離れを持つ家も存在する。いずれの町家も桟瓦で葺かれた切妻造の平入を基本とし、湾曲する路地に合わせて台形の平面を持つ家が多いのが特徴だ。




持ち送りが連続する腕木庇が特徴的だ

 一階部分の建具は、大正期までは玄関を含めて摺り上げ戸が一般的で、その後に引き違い戸に変化していった。改築の手が入っている住宅においても、摺り上げ戸や出格子が存在した痕跡が残されており、大正期以前の様相を偲ぶことが可能である。町家の正面には庇が設けられており、それを支持する部材として腕木が添えられているのも特徴的だ。この腕木は時代ごとに様式が異なっており、江戸時代中期は雲模様の持送りを使用していたが、江戸時代後期にはシンプルな方杖となり、明治時代に入ると装飾を施した方杖となっていく。腕木庇の形状によって建築年代の推定が可能であり、また大島大工の優れたデザイン性を垣間見ることができる。




集落の中心に鎮座する天降神社
斜面に五段にも渡る石積を築いて土地を確保している

 集落を見下ろす高台には、真教寺や西福寺、天降神社といった寺社が境内を構えている。中でも天降神社には、享保2年(1717年)に平戸藩主が奉納した肥前型の石鳥居が聳えており、その左右には当時の鯨組当主、井元弥七左衛門定治が奉納した石灯籠が立っている。井元氏は真教寺の創建者でもあり、境内には享保9年(1724年)に井元氏が奉納した梵鐘と半鐘も残っている。また境内の直下にある六角井戸は創建時に掘ったものだという。現在の平戸市役所大島分室にある「恵籠のソテツ」は井元氏が寛文年間(1661〜1673年)に琉球方面に貿易船を出して取り寄せ、藩主に献上したソテツの一部であるといい、当時における捕鯨業の隆盛ぶりをうかがい知ることができる。

2018年05月訪問




【アクセス】

「平戸港」から「第二フェリー大島」で約45分、「的山港」から大島バスで約25分、「天降神社前」下車すぐ。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。