南越前町今庄宿

―南越前町今庄宿―
みなみえちぜんちょういまじょうしゅく

福井県南条郡南越前町
重要伝統的建造物群保存地区 2022年選定 約9.2ヘクタール


 福井県ほぼ中央の山間部、京都滋賀と福井を結ぶ交通の要所に位置する今庄宿は、江戸時代初頭に整備された北陸道の宿場町である。日野川左岸の扇状地を通るかつての北陸道に沿って、江戸時代後期から昭和30年代にかけて築かれた町家が軒を連ねており、地割も藩政時代のものが良好に維持されている。旧街道に面した主屋は太い登梁を二階の軒先に突き出す豪壮な造りであり、火除けの袖壁を付けるなど特徴的な姿を見せるものが多い。越前地方の山間部に発展した宿場町の歴史的風致を今に留める町並みが残されていることから、かつての宿場のほぼ全域にあたる東西約590メートル、南北約900メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




緩やかに湾曲する旧街道に沿って町家が並ぶ上町の町並み

 今庄宿は越前と若狭および近江との国境にほど近く、若狭から木ノ芽峠や山中峠を経て越前へ至る街道と、近江から栃ノ木峠を経て越前へ至る街道が結節する地点にある。古くから北陸への関門として重要視され、今庄宿の南側にそびえる山には燧ヶ城(ひうちがじょう)が築かれた。平安時代末期には反平氏勢力と平氏の戦い、南北朝時代には足利方と南朝方の戦い、戦国時代には越前一向一揆と織田信長の戦いが繰り広げられるなど、時代ごとに戦略拠点として利用されてきた歴史を持つ。関ヶ原の戦い後に越前国を領して初代福井藩主となった結城秀康(ゆうきひでやす)は、慶長7年(1602年)に北陸道の伝馬制を整備し、以降、今庄宿はその宿場町として江戸時代を通じて賑わった。




今庄宿で最も古いとされる旧京藤甚五郎(きょうとうじんごろう)家住宅
唯一外壁を軒裏まで塗り篭め、二階両端には卯建(うだつ)を上げる

 今庄宿は南側から街道筋に沿って上町(かみまち)、観音町(かんのんまち)、仲町(なかまち)、古町(ふるまち)、新町(しんまち)の五町が続いており、このうち新町はやや遅れて成立したと考えられている。要衝の宿場であることから一種の城塞としての機能を持ち、宿場の出入口にあたる南北端の木戸、および古町と新町の間にはクランク状の矩折(かねおり)が設けられている。これは枡形(ますがた)とも呼ばれ、宿場の見通しを利かなくすると共に敵軍の侵入を防ぎやすい構造となっている。大名や要人が宿泊する本陣や脇本陣、人馬の継ぎ立てをする問屋場(といやば)、藩札を掲げる御札場など主要な施設は仲町に集約され、宿場の中心的な機能を担っていた。




脇本陣跡に建つ「昭和会館」(国登録有形文化財)
昭和5年(1930年)の鉄筋コンクリート造で昭和中期には町役場であった

 今庄宿では江戸時代に計四回の大火が発生している。中でも文政元年(1818年)の大火では家屋の大半を焼失するほどの甚大な被害があり、現在にまで残る建物はこの後に建てられたものだ。明治5年(1872年)に宿駅制度が廃止され、明治21年(1888年)に国道が海岸沿いに敷設されると旧北陸道の交通量は激減した。その後、明治29年(1896年)に敦賀と福井を結ぶ北陸本線が開通すると、峠越えの機関車を増結するためすべての列車が今宿駅に停車することになる。駅の周辺には機関庫や職員住宅などの鉄道関連施設が整備され、旧街道沿いには近代建築も建てられた。以降、昭和37年(1962年)の北陸トンネル開通および北陸本線の電化まで、今庄は鉄道の町として発展していく。




仲町の北側には二階の両端に袖壁を設けた町家が連なる

 各家の間口は四間から五間ほどが一般的であるが、中心部の仲町や観音町では六間以上、上町や古町は四間以下のものが多い。奥行きは二十間前後だが、上町の西側は背後に山が迫るため十間以下となる。北陸道に面して主屋を建て、明治後期以降はその背後に一部を突き出させた角屋(つのや)を設けて竃場などの水回りを主屋から移している。敷地の奥には風呂や便所、離れ座敷といった附属屋や土蔵を配しており、造酒屋の家では醸造施設を建てている。隣家との間に通路や水路を通すことが多く、間口の広い家では主屋の脇に塀を設けて門を開くものもある。主屋は切妻造の平入が基本であるが、宿場の縁部には妻入も見られる。いずれも厨子二階建もしくは本二階建であり、屋根は桟瓦葺だ。




冬季には軒先に仮設の雪囲いを設ける家が多い

 一階の平面は通り土間を設けずに板間を奥まで通し、それに沿って表からミセノマ、ナカノマ、ザシキを並べる一列三室式であるが、間口の広いものは二列三室式となる。なお、板間には囲炉裏を設けてダイドコロとする。宿場の縁部では板間を設けずに間口いっぱいを部屋とし、表側を板間として背後に居室を二列並べるものもある。一階正面には腕木庇を付け、江戸時代は床上部を摺上戸や平格子としていたが、明治以降は出格子を用いるようになる。二階正面は漆喰塗の真壁造を基本とし、古くは窓に格子を嵌めていた。大正以降はガラス窓を使用する家が多くなる。また冬季には腕木庇の軒先に柱を立てて板を落とす仮設の雪囲いを設ける家が多いのも山間の豪雪地にある今庄宿の特徴だ。

2021年12月訪問




【アクセス】

・JR北陸本線「今庄駅」から徒歩約3分。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【参考文献】

・「月刊文化財」令和3年8月(695号)
南越前町今庄宿|国指定文化財等データベース