宇和島市津島町岩松

―宇和島市津島町岩松―
うわじましつしまちょういわまつ

愛媛県宇和島市
重要伝統的建造物群保存地区 2023年選定 約10.6ヘクタール


 愛媛県の南部、宇和海に面してリアス海岸が続く南予地方。その入江のひとつである北灘(きたなだ)湾へと注ぐ岩松川の河口近くに岩松の町場が広がっている。周辺の海岸部および岩松川流域の山間部に点在する小規模集落から成る津島郷(旧津島町域)において、海と山の結節点に位置する岩松は江戸時代より物資の集散地として発展すると共に、小西家などの豪商を中心に製蝋業や酒造業、製塩業で栄えた歴史を持つ在郷町だ。現在も岩松には江戸時代末期から昭和40年代初頭にかけて築かれた町家を始め、農家や洋風建築などが混在する町並みが残ることから、岩松川東岸に位置する南北約1060メートル、東西約480メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




岩松川越しに望む岩松の町場と天が森(てんがもり)の山並み

 岩松の起源は定かではないが、史料より14世紀の中頃には既に農村として存在していたと見られている。室町時代の後期には背後にそびえる標高334メートルの天が森に越智通繁(おちみちしげ)が山城を築き、その麓に設けられた土居(居館)を中心に岩松の集落が形成されたと考えられる。江戸時代初頭の慶長19年(1614年)に宇和島藩が成立すると津島郷はその所領となり、貞享元年(1684年)には小西家の初代とされる米屋惣兵衛が宇和島藩より酒造業の許可を得て宇和島城下から岩松へと移り住み、商売によって多大なる財を成した。安永六年(1777年)には3代目の当主が苗字帯刀を許され小西と名乗るようになり、以降、岩松はこの小西家を筆頭に発展していった。




川通りにある、獅子文六(ししぶんろく)が滞在していた大畑旅館
岩松は氏の小説「てんやわんや」のモデルになった町である

 江戸時代後期の古地図によると天が森の山裾を南北に通る本通りに沿って町家が建ち並び、その西側には芳原溝(ほわらみぞ)と呼ばれる農業用水路と石垣によって町場と水田を区切っていた。当初の岩松川は現在よりも西側を蛇行して流れていたのだが、度々の水害により小西家は慶応二年(1866年)頃に宇和島藩の許可を得て川筋を東側に付け替え、現在の直線的な流れになった。この流路の変更によって芳原溝の西側にも屋敷地が広がるようになり、明治から昭和初期にかけて岩松川に沿った町並みが形成され、またその下流には新たな港町が開かれた。自動車交通が発達すると物資の集散地としての役割は薄れたものの、小規模な商店が軒を連ねる町並みは維持されていった。




近世以前より集落があったと考えられる土居ノ奥の町並み
農家形式の家屋が見られ、より古い時代の岩松の様相を留めている

 岩松の町並みは、北から南へ若宮、上本町、下本町と続く「本通り」、暗渠化した芳原溝に沿って通る「中道」、岩松川に面した「川通り」と「浜通り」、それらのさらに南へ続く「港町」、そして本通りから東の谷筋に入る「土居ノ奥」から構成される。各家の敷地は不整形なものが多く、間口は三間から四間が一般的であるが下本町には五間から六間の間口を持つ大型商家も存在する。岩松は天が森と岩松川によって挟まれた狭隘な土地にあるため敷地の確保に限界があり、奥行きは総じて四間半から六間ほどに留まる。ほとんどの家が町家形式であるが、土居ノ奥では敷地の中央に主屋を建て、中庭を取り囲むように納屋や土蔵などを並べる農家型の家も見られる。




下本町には岩松で最大規模の西村邸など大型商家が並ぶ

 町家の主屋は通りに面して間口いっぱいに建て、一部を後方に張り出した角屋(つのや)の形式で炊事場であるカマヤを設け、その背後に離れや土蔵を敷地の形状に合わせて建てている。主屋はほとんどが二階建てであり、屋根は切妻造の平入で桟瓦葺だ。平面は前土間をミセとし、奥に一室または二室を配すものが多い。前述の通り岩松は奥行方向の敷地を確保しづらいため、接客用の座敷を一階ではなく二階に設えるという特徴がある。しかしながら明治中期頃までに建てられたものは二階の建ちが低いため、小屋組みの登梁に沿って傾斜した棹縁天井を張り、接客空間の天井高を最大限に確保している。明治後期から大正時代になると建ちが高くなり、二階の天井も水平梁を用いるようになる。




長屋形式の町家が連なる上本町
奥には石垣の上に築かれた臨江寺の山門が見える

 主屋の正面には桟瓦葺きの庇を付け、絵様彫刻を施した持ち送りで支えている。外壁は木目を見せる漆喰塗の真壁造、あるいは板壁とするが、大型の商家には軒裏まで漆喰で塗り籠めた大壁造とするものもある。表構えは一階の開口部に平格子や出格子をはめ、二階の開口部には手摺を付けるものが多い。それらの木部をベンガラで赤く塗るのも特徴的だ。また若宮に位置する臨江寺は小西家の菩提寺であり、傾斜地にできるだけ広い境内を確保すべく積まれた石垣が威厳を醸している。他にも様々な色のガラスをはめた小西家離れなど洋風の要素を取り入れた建物や、大正次代以降の洋風建築や看板建築など、岩松では様々な時代の多種多様な建築を目にすることができる。

2011年05月訪問




【アクセス】

・JR予讃線「宇和島駅」より宇和島自動車バス「岩松支線」で約35分、「岩松バス停」下車徒歩約3分。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【参考文献】

・「月刊文化財」令和5年3月(726号)
・宇和島市津島町伝統的建造物群保存地区保存活用計画
岩松の町並み|うわじま観光ガイド