須坂市須坂

―須坂市須坂―
すざかしすざか

長野県須坂市
重要伝統的建造物群保存地区 2024年選定 約19.3ヘクタール


 長野県の北東部、長野盆地の東部に位置する須坂は、十字に交差する街道に沿って栄えた商家町である。江戸時代には須坂藩の政庁として陣屋が置かれ、周辺地域における政治・経済の中心地として機能していた。江戸時代末期から明治初頭にかけて始まった製糸業は明治時代後期から大正時代にかけて最盛期を迎え、須坂には製糸業に関わる多くの人々が集まり町は大いに発展した。現在も須坂には重厚な趣きを見せる商家の主屋が軒を連ねており、近代以降に製糸業で繁栄した商家町の様相を今に伝えていることから、3本の街道が交わる「中町(なかまち)の辻」を中心に、各街道沿いなど東西約810メートル、南北約870メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。




武家住宅の特色を見せる旧丸田家住宅(国登録有形文化財)
敷地を塀で囲んで門を構え、前庭の奥に主屋を建てる

 長野盆地を北へと流れる千曲川の右岸、南側を百々川(どどがわ)、北側を松川によって挟まれた扇状地に須坂の町場が広がっている。二本の川が作り出した谷の入口にあたることから、山裾を縫うように通る「谷街道」と、それぞれの谷へと通じる「大笹街道」および「山田道」の結節点にあたり、交通の要衝として江戸時代以前より在郷町が形成されていた。江戸時代に入ると掘直重(ほりなおしげ)を藩主として須坂藩が成立し、第二代藩主の堀直升(ほりなおます)は街道が交差する「中町の辻」のやや南東に陣屋を設置。周囲に家臣の武家屋敷を配し、寺社を移すなど陣屋町としての整備を進めた。以降、須坂は江戸時代を通じて街道沿いにおける物資の集散地として賑わうことになる。




製糸業の発展とともに普及した大壁造(おおかべづくり)の主屋が並ぶ

 江戸時代末期に横浜港が開港すると輸出用生糸の需要が増大し、須坂では急速に製糸業が発展した。緩やかな傾斜が続く扇状地の特性を利用し、南北に通る街道沿いでは江戸時代から「裏川用水」と呼ばれる水路が敷地の中ほどに整備されており、その水車を動力とする器械製糸業が明治初期から始まった。明治8年(1875年)には小規模製糸工場からなる「東行社(とうこうしゃ)」が県下に先駆けて設立され、共同で出荷体制を整えるようになる。製糸業の近代化が進むにつれて人口が増大し、街道に面さない小路にも長屋や小規模な住宅が高密度で建てられた。大正時代に鉄道が敷設されると町域は西へと拡大し、昭和に入ると世界恐慌の影響により製糸業が衰退して町の中心は駅前へと移っていった。




主屋の両端に防火壁の卯建(うだつ)を上げる家など、変化に富んだ町並みが続く

 現在も須坂には「中町の辻」を中心に、西から北へと通じる「谷街道」、南へ至る「大笹街道」、東へ至る「山田道」の各街道に沿って、江戸時代後期から昭和20年頃にまで建てられた商家の主屋を始めとする、土蔵、製糸関係施設、武家住宅、社寺など昔ながらの建物が数多く残っている。街道沿いの敷地割はおおむね奥行きが長い短冊形であり、間口は一定ではなく四間から九間と幅がある。通りに面して店舗部と住宅部からなる主屋を建て、片側に脇門を構えてその奥は通路とする。主屋の背面には中庭を挟んで土蔵、附属屋などを配しているが、製糸業の隆盛により敷地を拡大した家では製糸場や水車小屋など製糸業関係の施設を伴う家や、街道に面して土蔵や塀を構える家も存在する。




通りに面して店舗部を建て、その横には住宅部の玄関へと続く脇門を構える
店舗部の屋根の上には、棟が直交する住宅部の妻面が見える

 主屋の店舗部は二階建で、木部を漆喰で塗り籠めて耐火性を高めた大壁造が多く、屋根は桟瓦葺の切妻造で妻入と平入が混在する。店舗部の背後に接続する住宅部もまた二階建ての大壁造、桟瓦葺の切妻造であるが、敷地の奥行きに沿って棟を置くため、店舗部が平入の場合には住宅部の棟と直交する「撞木造(しゅもくづくり)」となるものが多い。店舗部は通りに面して開口部を開き、住宅部は脇門から入り通路を経由して平側に玄関を構える。店舗部の平面は一室のミセとするものが多く、住宅部は下手から玄関を付すチャノマ、オカッテ、上手にナンド、ナカノマ、ザシキとする家が多い。土蔵は切妻造の平入で、二階建てが多いが三階建てのものも見られる。




西側の東横町には「ぼたもち石」を基礎に据えた大型商家が目立つ

 一階部分の表構えは正面に下屋庇を付し、かつては揚戸が一般的であったと考えられるが、今に見られるものは下屋柱まで室内に取り込み、腰付ガラス戸などの建具を入れている。二階部分の表構えは変化に富み、漆喰塗り籠めの防火戸を設けるものや、木格子を嵌めるものなど様々だ。また漆喰を饅頭型に盛り上げて折れ釘を打った「乳鍵(ちちかぎ)」と呼ばれる装飾も見られるが、これは漆喰を補修する職人の足場を確保する為のものと伝わる。敷地の境界や建物の基礎、用水路の側壁などは石積みであり、特に製糸業で財を成した家では「ぼたもち石」と呼ばれる大きな丸石を隙間なく積み上げるという非常に手間のかかる工法で築かれており、これもまた須坂の特徴となっている。

2015年05月訪問




【アクセス】

・長野電鉄長野線「須坂駅」から徒歩約10分。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【参考文献】

・「月刊文化財」令和6年9月(732号)
須坂市須坂伝統的建造物群保存地区保存活用計画|須坂市