日光杉並木街道 附 並木寄進碑

―日光杉並木街道 附 並木寄進碑―
にっこうすぎなみきかいどう つけたり なみききしんひ

栃木県日光市 鹿沼市
特別史跡 1952年指定
特別天然記念物 1956年指定


 天下分け目の関ヶ原の戦いを制し、江戸幕府を開いて260年に及ぶ泰平の礎を築いた徳川家康。その遺体は遺言により駿府の久能山に埋葬されたのち、関東屈指の霊場である日光山へと改葬された。日光には東照大権現(徳川家康の神号)を祀る東照宮が造営され、以降、江戸時代を通じて歴代将軍による社参が度々実施されるようになる。日光山内へと通じる3本の街道には参道並木として紀伊杉が植樹され、約400年経った今もなお並木の多くが失われることなく江戸時代の街道景観を留めていることから、全国で唯一「特別史跡」と「特別天然記念物」の二重指定を受けている。その総延長は約37キロメートルにも及んでおり、世界で最も長い並木道としてギネスブックにも掲載されている。




日光新橋の袂に安置されている並木寄進碑
計4基のうち神橋のものは「親石」、藩境のものは「境石」と呼ばれている

 日光への街道に杉の木を植えたのは、徳川家康・秀忠・家光の三代将軍に渡り仕えた忠臣であり、家康の埋葬や遺産の管理を担当した玉縄藩主の松平正綱(まつだいらまさつな)である。植樹は寛永2年(1625年)に始められ、20余年もの歳月をかけ子の松平正信の代に完成した。杉並木は慶安元年(1648年)4月17日の徳川家康三十三回忌に合わせて日光東照宮へ寄進され、その経緯を後世に伝えるべく儒学者の林羅山(はやしらざん)に碑文を依頼したものの、正綱はその完成を見ることなく同年6月に死去。父の遺志を継いだ正信が杉並木の始点にあたる日光新橋と、各街道の終点に寄進碑を建立した。これら計4基の寄進碑もまた日光杉並木街道の附けたりとして特別史跡に含まれている。




「会津西街道」ではメインの道の横にサブの道が通る“二重並木”が見られる
格上の大名に道を譲る避難路とも、通行人が一息入れる休憩所ともいわれる

  日光へと通じる3街道のうち、奥州街道の宇都宮宿から分岐する「日光街道」は将軍や大名などが使っていた正式な参詣道である。中山道の倉賀野宿から分岐する「例幣使街道」は、朝廷から派遣された勅使が日光へ向かう道として使用したことからその名が付いた。会津若松から山王峠を越えて下野国に入る「会津西街道」は、会津以北と江戸を結ぶ物流の道としても重要であった。後者の2本は日光神橋の約8キロメートル手前に位置する今市宿で日光街道と合流する。杉並木が整備されたのは、神橋からかつての日光神領と他藩の藩境まででであり、その距離は「日光街道」が約17キロメートル、「例幣使街道」が約14キロメートル、「会津西街道」では約6キロメートルだ。




日光街道と例幣使街道の分岐点に鎮座している追分地蔵尊
丸彫座像の石地蔵としては東日本有数のものであるという

 日光街道と例幣使街道の合流地点には「追分地蔵尊」が祀られている。室町時代のものと考えられている石仏で、元は日光の憾満ヶ淵(かんまんがふち)にあったものが洪水で流され今市の河原に流れ着いたと伝わっており、八代将軍吉宗の日光社参の時には既に現在地に祀られていたという。他にも日光杉並木街道では各所に石仏が見られ、移動や荷運びに利用されていた馬を供養するための馬頭観音や、村境に設けられる庚申塔など、様々な石造物を目にすることができる。また例幣使街道には一里塚も残っており、石材を運搬する人夫が飯を十石も食べて越えたと伝わる「十石坂」や、昭和24年(1949年)の今市地震で街道ごと杉並木が滑り落ちた「地震坂」など、様々ないわれが存在する。




生々しい砲弾痕が残る「砲弾打ち込み杉」

 樹齢350年以上の杉の木が林立する日光杉並木街道には、名物杉と呼ばれる巨木も数多い。七里地区にある「並木太郎」は最も大きく美しいと言われている木で、その高さは約38メートル、周囲は約5.35メートルにもなるという。森友地区にある「桜杉」は杉の割れ目にヤマザクラが芽吹き一体化したもので、春には見事は花を咲かせている。同じく森友にある「並木ホテル」は一里塚の上に植えられた杉の根元が腐って空洞化したもので、そのうろは大人四人が泊まれるほどに広く、昔は雨宿りなどに利用されていたという。3本の街道が結束する今市宿は明治維新の戊辰戦争において激戦地となり、瀬川地区の「砲弾打ち込み杉」には今もなお砲弾の痕が残っている。




現在も国道として利用されている「例幣使街道(壬生通り)」
並木保護策として路肩に木柵を設け、土の流出を防いでいる

 正綱・正信親子が植えた杉の数は説によって2万4300本とも5万本ともいうが、現在残っている杉は1万2000本余りである。道路や周辺の整備による根の切断や環境の悪化によって樹勢が衰え、老朽化による枯死や台風の倒木などにより年間100本以上の杉が失われているという。近年は栃木県が平成4年(1992年)に策定した「日光杉並木街道保存管理計画」に基づき、杉並木の保全に必要な外側約20メートルの公有化が進められており、また賛同者に杉を一本1000万円で購入して貰う杉並木オーナー制度を始め、車道を迂回させるバイパス整備、内部を空洞にしたコンクリートブロックを路面に埋めて並木との段差を解消し根の生育を促すポカラ工法など、様々な保護事業が取り組まれている。

2006年12月訪問
2013年10月再訪問
2015年05月再訪問




【アクセス】

<日光街道(杉並木公園)>
東武鉄道日光線「上今市駅」より徒歩約3分。

<追分地蔵尊(日光街道と例幣使街道の合流点)>
JR日光線「今市駅」より徒歩約5分、東武鉄道日光線「下今市駅」より徒歩約5分。

<日光神橋の並木寄進碑>
JR日光線「日光駅」、東武鉄道日光線「東武日光駅」より徒歩約30分。

<日光街道の並木寄進碑>
JR東北本線「宇都宮駅」より関東自動車バス「56系統日光方面行き」で約40分、「大沢並木入口」バス停下車、徒歩約1分。

<例幣使街道の並木寄進碑>
JR日光線「文挟駅」より徒歩約30分。

<会津西街道の並木寄進碑>
東武鉄道鬼怒川線「大桑駅」より徒歩約5分。

【拝観情報】

散策自由。

【関連記事】

・東照宮本殿、石の間及び拝殿

【参考文献】

・月刊文化財 平成29年2月(641号)
・月刊文化財 平成30年5月(656号)
・日光杉並木 下野新聞社
日光杉並木保護|栃木県