仁和寺金堂

―仁和寺金堂―
にんなじこんどう

京都府京都市
国宝 1953年指定


 真言宗御室派の総本山である大内山仁和寺は、仁和寺は仁和2(886)年に光孝天皇の勅願で建設が開始された。しかしその完成を見ずに光孝天皇は崩御。宇多天皇が光孝天皇の意思を継いで工事を続け、仁和寺は仁和4(888)年に完成した。建立当初は西山御願寺と呼ばれていたが、次第に建立時の年号を取って仁和寺と呼ばれるようになったという。また、後に出家した宇多天皇が境内南西に御室(おむろ)と呼ばれる僧坊を建て、そこで生活していたことから御室御所とも呼ばれていた。




雪の仁和寺金堂

 応仁元(1467)年から文明9(1477)年にかけて起きた応仁の乱により、京都の町は焼け野原となってしまう。仁和寺もまた例外ではなく、その火によって伽藍の全てを消失してしまった。しかし江戸時代に徳川幕府の援助によって伽藍が復興され、仁和寺は再び寺勢を取り戻すこととなる。その再建の時は奇しくも皇居の建て替え時期にあり、旧皇居内の建造物のいくつかが仁和寺に下賜され、仁和寺はそれらの建造物を再利用する形で復興した。




透かし彫りの金具など、随所に宮殿建築の特徴が見られる

 現在仁和寺の中心にあり、そして国宝建造物である金堂は、仁和寺の再建時に旧皇居より下賜された建物の一つである。それは旧皇居の内裏において、紫宸殿(儀式が行われる正殿)として利用されていたものだ。その規模は桁行七間で梁間五間。屋根は入母屋である。この旧紫宸殿は慶長16(1611)年に造営され、移築後も基本的な構造はそのままに屋根を桧皮葺から本瓦葺に変え、内部を内陣、外陣に分けて仏堂様式に改めた。




旧常御殿の部材が用いられた御影堂(重要文化財)

 旧皇居から移築されたというその歴史ゆえ、仁和寺金堂は宮殿に見られる意匠も残り、寺院建築と宮殿建築両方の特徴を兼ね備える珍しい建造物となっている。なお、旧紫宸殿の他にも旧清涼殿や旧常御殿が旧皇居より下賜されたが、旧清涼殿は御影堂の建築用材とされ、また旧常御殿は仁和寺御殿の宸殿として移築されたが明治時代に焼失。現在見られるものは明治時代末から大正初期にかけて再建されたものだ。金堂は唯一完全に残る旧皇居の建造物としても大変貴重なのである。




仁和寺入口に堂々と構える二王門(重要文化財)

 金堂の内部には仁和寺の本尊である阿弥陀三尊像が安置されている。阿弥陀三尊像は中央に阿弥陀如来を配し、その左に観音菩薩を、右に勢至菩薩を置くというもので、仁和寺のものは阿弥陀如来が坐像、観音菩薩と勢至菩薩が立像というスタイルである。なお、脇侍の観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲を表し、勢至菩薩は知恵を表しているという。この阿弥陀三尊像は仁和寺創建時に作られたものであるとされ、いずれも檜材の一木造。金堂同様に国宝指定を受けている。




仁和寺御殿から見る飛濤亭、中門、五重塔
いずれも重要文化財である

 仁和寺の境内には金堂以外にも数多くの建造物がある。寺の正面入口には立派な二王門が立つが、これは知恩院の三門、南禅寺の山門と共に、京都三大門と呼ばれている。中門を越えた右側には五重塔がそびえ、左側には観音堂が建つ。他にも鐘楼、経蔵、御影堂などが残り、重要文化財だけでも14棟が境内に現存している。また、境内の南西。かつて御室御所があった地に立つ仁和寺御殿の敷地内には霊明殿が建つが、この内部には全長22cmの小さな国宝仏、薬師如来坐像が安置されている。

2008年02月訪問




【アクセス】

京福「御室仁和寺駅」から徒歩約5分。
「京都駅」から京都市バス26系統「御室仁和寺バス停」よりすぐ。

【拝観情報】

境内自由(桜まつりの期間のみ500円)、7時30分頃に開門。

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