知恩院本堂(御影堂)、知恩院三門

―知恩院本堂(御影堂)―
ちおんいんほんどう(みえいどう)
国宝 2002年指定

―知恩院三門―
ちおんいんさんもん
国宝 2002年指定

京都府京都市


 著名な神社仏閣が数多く集まり、日本有数の歴史的風致を形成している京都の東山。数ある東山の寺院の中でも、繁華な祇園の町に隣接し、目を見張る程に巨大な三門がひときわ印象的な知恩院は、平安時代末期に法然(ほうねん)上人が開いた浄土宗の総本山である。その境内は極めて広大な範囲に及んでおり、大きく分けて、法然上人の御廟が鎮座する上段、主要建造物の集まる中段、そして子院が建ち並ぶ下段の三地域に区分する事ができる。そのうち伽藍の中心を担い、浄土宗の教義の発信地でもある中段の本堂と、下段から中段に上る石段のたもとにそびえる三門は、いずれも江戸時代前期に幕府によって造営された近世寺院建築の傑作であり、2002年に国宝指定された。




法然像を本尊とする、御影堂こと知恩院本堂

 美作国の豪族の子に生まれながらも、9歳の時に父親を殺された法然は、引き取られた寺の勧めで比叡山へと入り、比叡山の中でも特に深山なる地の黒谷で厳しい修行と学問に励んだ。承安5年(1175年)、43歳になった法然は、中国浄土宗の僧侶である善導(ぜんどう、ピンイン)が記した念仏の教えに感化され、比叡山を降りて東山の住房に身を置おいて人々に教えを説いた。これが日本浄土宗の始まりである。法然は建暦2年(1212年)年に80歳で死去したが、弟子達はその住房の側に霊廟を築き、法然の教えを守り続けた。その後、比叡山の衆徒に襲撃されるなどしたが、文暦元年(1234年)には四条天皇から寺号を下賜され、知恩院こと知恩教院大谷寺が成立したのだ。




知恩院本堂の向拝部分

 元々知恩院は、法然の住房跡に建つ勢至堂(せいしどう)と法然廟がある上段のみがその寺域であった。今に見られる姿となったのは、江戸時代に入ってからの事だ。浄土宗に帰依していた徳川家康は、慶長3年(1608年)より知恩院の寺域を大幅に拡張し、伽藍の造営を行った。それらは二代将軍秀忠(ひでただ)の時代に完成したが、寛永10年(1633年)に火事が起き、本堂を始め多くの建物を失ってしまう。直後、三代将軍家光(いえみつ)が再建を行った為、現在の本堂は寛永16年(1639年)のものである。それの規模は桁行が十一間、梁間九間。屋根は一重の入母屋造で、本瓦葺。周囲に廊下が巡らされ、正面には五間の向拝が、背面には三間の向拝が付属する壮大なものである。




本堂の背後からは歩廊が伸び、北隣の集會堂と接続している
この歩廊もまた、本堂の附けたりとして国宝である

 知恩院本堂の外観は和様を基調とし、桟唐戸(さんからど)や妻飾りなど一部に禅宗様の特徴を見る事ができる。屋根の大棟上には二枚の瓦が残されているが、これは「完成したらその瞬間から崩壊が始まる」という思想の元、あえて未完全な状態に留めているのである。また、本堂正面右よりの軒裏には、「忘れ傘」という和傘が残されている。これは、水を表す傘は火災避けになると信じられている為に置かれたものと考えられる。本堂内部は、禅宗様の様式を用いて荘厳な空間を作り出しており、手前三間を外陣、その後ろ六間を内陣としている。内陣の中央には四天柱を建てて内々陣とし、本尊の法然上人像(御影)を安置する。この御影を祀る事から、知恩院本堂は御影堂とも称される。




現存する門としては日本最大の大きさである、知恩院三門

 本堂へと続く石段の下には、巨大な三門がその偉容を誇っている。それは江戸幕府二代将軍徳川秀忠によって建てられたもので、元和7年(1621年)の建造である事が墨書より判明している。五間三戸の二重門で、屋根は本瓦葺の入母屋造。その高さは24メートルもあり、日本に現存する寺院の門では最大のものである。一般的に、三門は禅宗寺院の門として建てられるものだが、それが浄土宗の総本山に建てられているというのは面白い。垂木は下層が平行垂木だが上層は放射状に配された扇垂木)、組物は密に配された詰組(つめぐみ)、柱は上下を細くした粽柱(ちまきばしら)で、柱と礎石の間に礎盤を入れるなど、その建築様式は禅宗様の典型そのものである。




おびただしい数の組物が連なった詰組など、典型的な禅宗様の様式を採る

 三門の両脇には、山廊(さんろう)と呼ばれる小屋が付属しており、それらから伸びる階段によって三門の上層へ登る事ができる。上層の内部は仏堂となっており、元和7年(1621年)に作られた重要文化財の釈迦如来坐像と十六羅漢像が安置されている。その天井は禅宗様の鏡天井で、そこには飛龍を始め、天女や半人半鳥の迦陵頻伽(かりょうびんが)などが極彩色で描かれている。なお、上層中央に掲げられた扁額は、霊元天皇の宸筆によるものだ。これらの本堂および三門は、江戸時代までに熟成された建築技法を遺憾なく発揮した建築であり、非常に完成度が高く、意匠も優れたものとなっている。まさに徳川家の威信を示す、江戸時代前期を代表する建造物であると言える。

2010年01月訪問




【アクセス】

「京都駅」より京都市営バス206系統で約20分「知恩院前バス停」下車、徒歩約5分。
京都市営地下鉄東西線「東山駅」より徒歩約10分。

【拝観情報】

拝観無料、拝観時間は9時〜16時。

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