法界寺阿弥陀堂

―法界寺阿弥陀堂―
ほうかいじあみだどう

京都府京都市
国宝 1951年指定


 山科から醍醐を経て六地蔵に至る奈良街道から東に反れ、なだらかな丘陵を超えるとそこには日野の里が広がっている。日野は藤原北家の日野家ゆかりの地であり、その中心には平安時代からの歴史を持つ真言宗醍醐派の別格本山、法界寺が鎮座する。法界寺は薬師如来を本尊とする事から「日野薬師」、または本尊に参ると母乳の出が良くなるという事から「乳薬師」と呼ばれ、人々に親しまれてきた。その境内には、本尊の薬師如来像を安置する本堂の他、阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂が存在する。この阿弥陀堂は鎌倉時代に再建された立派な阿弥陀堂建築であり、また内部に安置された巨大な阿弥陀如来坐像は平安時代末期の傑作として、建築、仏像共々国宝に指定されている。




奈良県斑鳩の伝燈寺より移築された法界寺本堂(重要文化財)
康正2年(1456年)の建立で、薬師如来立像、十二神将立像(共に重要文化財)を祀る

 法界寺の創建は平安時代の永承6年(1051年)、大学寮(当時の官僚養成機関)の文章博士(もんじょうはかせ、中国の歴史や漢文学を教授する教官)であった、日野資業(ひのすけなり)によって開かれたとされる。さらに遡ると、法界寺は弘仁13年(822年)に藤原北家の藤原家宗(ふじわらのいえむね)が、伝教大師最澄が刻んだとされる薬師如来像を祀る為に建てた、法家寺をルーツとする。この法家寺、及び薬師如来像を当地で代々守ってきたのが、日野家なのである。資業はより大きな薬師如来像を造営、代々受け継がれてきた最澄作の薬師如来像をその胎内に納入し、薬師堂に祀って法界寺とした。創建当時の法界寺は、境内に様々な堂宇が並ぶ大寺院であったという。




鎌倉時代に再建された法界寺阿弥陀堂

 南を向いて法界寺の境内に建つ阿弥陀堂は、鎌倉前期に再建されたものである。元は平安時代後期、釈迦の立教から1000年後に仏教の教えが及ばなくなるという末法思想の時代の中、病気や飢餓、天災や不安定な社会情勢なども相まって、死後の救済を願う浄土信仰が貴族庶民問わず流行した。法界寺もまたその影響あって、境内には複数の阿弥陀堂が建立され、阿弥陀如来が祀られたという。ところがそれらは鎌倉時代、承久3年(1221年)の戦火によって、ことごとく焼失してしまう。その後の嘉禄2年(1226年)、浄土宗の開祖である法然(ほうねん)の弟子、聖覚(せいかく)によって、法界寺に阿弥陀堂が再建された。それが、現在にまで残る法界寺の阿弥陀堂である。




重厚な趣を持ちながら、華やかで爽やかな建築である

 法界寺阿弥陀堂は、桁行五間、梁間五間の身舎(もや、建物本体の事)に裳階(もこし、建物の周囲に付けられる庇の事)を巡らしている。一般的に阿弥陀堂建築は三間四方であるのに対し、やや規模の大きいものであるといえる。裳階は壁の無い吹放ちで、裳階の下に縁が巡らされているのが特徴的だ。屋根は檜皮葺の宝形造で、緩やかな勾配の屋根棟が集まる頭頂部には宝珠露盤が乗せられている。その屋根と裳階の重なりや、吹放ちによる開放感のあるたたずまいは、優雅かつ軽妙な雰囲気を醸し出しており、どことなく平安時代の風情を感じさせる。建具は半蔀(はじとみ)と板戸で、軒の組物は平三斗(ひらみつど)、中備には間斗束(けんとづか)が入れられている。




裳階は吹放ちで、その部分は縁になっている

 内部は天井が高く、仕切りの代わりに四天柱を建て、その外側を外陣、内側を内陣とし、背後の柱間に来迎壁をも設けない開放的な堂である。内陣の天井は格の高い折上組入天井(おりあげくみいりてんじょう)なのに対し、外陣の天井は天井を張らずに垂木を見せた化粧屋根裏だ。内陣には須弥壇を据え、高さ2.8メートルの阿弥陀如来坐像を安置している。ふくよかな顔つきに微笑を浮かべたこの阿弥陀如来坐像は、寄木造で漆箔仕上げ、背後に透彫の飛天が舞う光背が備えられている。平安時代後期の名仏師である定朝(じょうちょう)が作成した平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像と似ており、その流れを汲む仏像として、平安時代後期における代表的な阿弥陀像の一つとして著名である。




蔀戸が多用され、平安風なたたずまいである

 四天柱やその上部の小壁などには、建立当時の壁画が残されている。四天柱には金剛界曼荼羅の諸仏が描かれ、また阿弥陀如来像上部の小壁には、外側に阿弥陀如来が、内側には散華しながら阿弥陀如来に向けて飛ぶ飛天が描かれている。平三斗と間斗束の間や、四輪、格子などにも、極楽に咲くという宝相華(ほうそうげ)が確認できる。これらの壁画は、板壁ではなく漆喰の土壁に描かれたものとして法隆寺金堂の壁画に次いで古く、日本絵画史上極めて貴重なものとされ、建物とは別に重要文化財の指定を受けている。なお、法界寺のある日野は浄土真宗の宗祖である親鸞(しんらん)の故郷でもあり、法界寺のすぐ側には親鸞が誕生したその地に建てられた誕生寺も存在する。

2009年11月訪問
2010年11月再訪問




【アクセス】

JR奈良線「六地蔵駅」より徒歩約30分。
JR東海道本線「山科駅」もしくはJR奈良線「六地蔵駅」より京阪バス22系統で「石田バス停」下車、徒歩約15分。

【拝観情報】

境内自由。
阿弥陀堂内部は拝観料400円、拝観時間は9時〜17時。

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