崇福寺第一峰門・大雄宝殿

―崇福寺第一峰門―
そうふくじだいいっぽうもん
国宝 1953年指定

―崇福寺大雄宝殿―
そうふくじだいゆうほうでん
国宝 1953年指定

長崎県長崎市


 長崎市中心部の東側に位置する風頭山(かざがしらやま)。その山麓に広がる寺町と鍛冶屋町には数多くの仏教寺院が密集しており、文字通り寺町といった風情を醸している。そのうち南側の鍛冶屋町に境内を持つ崇福寺は、長崎に住む華僑によって江戸時代前期の寛永6年(1629年)に創建された黄檗宗の寺院である。同じく華僑によって築かれた寺町の「興福寺」および市街地北側に位置する筑後町の「福済寺」と共に「長崎三福寺」と称され、華僑を始めとする人々の崇敬を集めてきた。その境内に建ち並ぶ堂宇のうち、本堂にあたる大雄宝殿および中門にあたる第一峰門は明末清初に輸入された日本に存在する最古の中国式寺院建築であり、それぞれが国宝に指定されている。




かつては崇福寺の山門であった第一峰門

 江戸時代の鎖国体制にあっても、唯一長崎だけはオランダおよび中国との交易が認められていた。キリシタンであるオランダ人は出島内に行動が限定されていたものの、キリシタンではない華僑は長崎市街地の在居が許されていた。慶長17年(1612年)に禁教令が発せられると、民衆はいずれかの寺院を菩提寺に設定してキリシタンではないことを証明する寺請制度が発生する。長崎にいた華僑もまた例外ではなく、自分たちの菩提寺を建立する必要に迫られた。まず江蘇省と浙江省の出身者が寛永元年(1624年)に興福寺を創建し、次いで寛永5年(1628年)に福建省の泉州と漳州の華僑が福済寺を、そして寛永6年(1629年)に福建省の福州の華僑が故郷から超然という僧侶を招いて崇福寺を創建した。




圧巻なのは「四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)」の詰組だ
国内では他に例がなく、中国の華南地方でも珍しいものである

 現存する第一峰門は中国の浙江省寧波(ニンポー)で材料を加工し、数隻の唐船で長崎へと運んで元禄8年(1695年)に組み上げられた。当初はこの門が山門であり、能書家として知られる黄檗宗の高僧「即非如一(そくひにょいつ)」の手による扁額には「第一峰」と記されている。しかしその後の延宝元年(1673年)、この門の下段に西向きの三門が新たに築かれたことから中門となった。本瓦で葺かれた入母屋造の四脚門で、幅の広い平垂木を使った二軒の扇垂木や、垂木の先端部分を隠す鼻隠板、挿肘木や柱上部の藤巻きなどすべてが中国の建築様式である。軒下や軒裏には極彩色で瑞雲などの吉祥模様が描かれている一方、雨がかりの部分は朱塗りのみとなっている。




逆凝宝珠束や黄檗天井が特徴的な大雄宝殿の軒回り

 大雄宝殿は唐商人何高材(がこうざい)の寄進により正保3年(1646年)に築かれたもので、これもまた中国で材料を加工して船で運ばれてきた。桁行五間、梁間四間の規模で、本瓦で葺かれた二重の入母屋造である。建立当初は単層の建物であったが、寛文元年(1661年)に隠元隆g(いんげんりゅうき)によって黄檗宗大本山の萬福寺が宇治に開かれると、その大雄宝殿を模して延宝8年(1680年)に上層部分が増築され今に見られる姿となった。軒回りに見られる逆凝宝珠束の持送りや、前廊部分の天井は黄檗天井と呼ばれる輪垂木によるアーチ状の天井であるなど下層は中国の建築様式であるのに対し、増築部分の上層は和様を基調としており、日中の建築が融合する特異な仏堂建築となっている。




床は瓦の四半敷き、天井を張らない等、内部は禅宗様の特徴を見せる
堂内に安置されている仏像はすべて中国人仏師によるものだ

 大雄宝殿には本尊の釈迦如来坐像が祀られており、脇侍として仏陀の弟子である迦葉(かしょう)尊者と阿難(あなん)尊者の立像を従えている。いずれも乾漆像であり、その胎内には銀製の五臓と布製の六腑が収められ、五臓には承応2年(1653年)の年号と何高材の銘が、六腑からは江西南昌府豊城縣仏師徐潤陽ほか二名の墨書が確認された。また堂内の左右には十六羅漢に慶友と賓頭廬(びんずる)を加えた十八羅漢像が安置されている。これらは寄木造に麻布を置いて漆で固めたもので、延宝5年(1677年)に造営された。三尊像から24年の隔たりがあるものの、唐僧南源の手紙に唐仏師の三人が崇福寺で羅漢を造るという記述があり、これらもまた徐潤陽ほか二名の手による可能性があるという。




崇福寺の境内には数多くの中国建築が密集している
港から望遠できるよう旗を立てていた刹竿(せっかん)石も現存する

 崇福寺は大雄宝殿や第一峰門以外にも江戸時代の中国建築が密に建ち並んでおり、うち四棟が重要文化財に指定されている。境内の入口に建つ三門は嘉永2年(1849年)に再建されたもので、下層を漆喰で塗り固めてアーチ状の通路を開く竜宮造である。大雄宝殿の向かいに存在する護法堂は享保16年(1731年)の建立で、韋駄天を祀っている。その南に聳える鐘鼓楼は享保13年(1728年)の建立。媽姐堂へと抜ける門であり、大雄宝殿と方丈を繋ぐ渡り廊下でもある媽姐門は文政10年(1827年)の建立だ。寛政6年(1794年)建立の媽姐堂は重要文化財の指定こそされていないものの、海上安全の守護神を祀る堂宇であり、交易で財を成した華僑の信仰を物語る長崎の唐寺ならではの要素として重要だ。

2018年05月訪問




【アクセス】

JR九州「長崎駅」から長崎電気軌道「崇福寺」行きで約15分、終点下車徒歩約5分。

【拝観情報】

拝観料:大人300円、高校生200円、小中学生無料。
拝観時間:8:00〜17:00
休館日:年中無休