八坂神社本殿

―八坂神社本殿―
やさかじんじゃほんでん

京都府京都市
国宝 2020年指定


 京都の中心部を東西に貫く四条通の東端に位置する八坂神社は、全国に約2300存在する八坂神社の総本社である。疫病退散の祈願所として発展し、皇城鎮護の二十二社にも数えられていた。貞観11年(869年)に疫病の流行を止めるべく神泉苑で行なわれた御霊会は祇園祭の起源となり、夏の疫病除け祭事として現在も京都の風物詩となっている。境内の中央に鎮座する本殿は、現存のものは正保3年(1646年)の焼失後、承応3年(1654年)に江戸幕府第四代将軍徳川家綱の命により再建されたものである。しかしながら、その社殿は平安時代末期に成立した「祇園造」をそのまま踏襲したもので、中世の信仰と建物の関係をよく示しており、建築史上高い価値を有することから国宝に指定された。




八坂神社の鳥居(重要文化財、以下重文)と南楼門(重文)を望む
祇園祭の神輿はここから出発する

 社伝によると八坂神社の創建は飛鳥時代の斉明天皇2年(656年)、高麗より副使として来日した伊利之(いりし)が新羅の牛頭山に座していた素戔嗚尊(すさのをのみこと)を当地に奉ったことに始まるという。一般的な定説としては平安時代の貞観18年(876年)に南都の僧侶であった円如が堂宇を建立したことに始まるとされ、また元慶元年(877年)に摂政の藤原基経(ふじわらのもとつね)の邸宅を移築して社殿にしたともいう。近世以前は仏教と深く関わった神仏習合の神社であり「祇園社」や「感神院」と称し、人々からは「祇園さん」と呼ばれ親しまれてきた。明治時代に入ると神仏分離令により薬師堂や鐘楼など仏教的な要素が取り除かれ、名称も現在の「八坂神社」に改められた。




本殿の東側には透塀(重文)が巡り、その内部には神饌所(重文)が配されている

 八坂神社の境内は南側の下川原町通を表参道とし、その入口として石鳥居(正保3年(1646年)建立)と南楼門(明治12年(1879年)建立)を構えている。また境内の西側には四条通からの入口として翼廊(大正14年(1925年)建立、重文)を備えた西楼門(明応6年(1497年)建立、重文)が石段の上に聳えている。南楼門を潜ると舞殿(明治36年(1903年)建立、重文)が建っており、その北側に本殿が南面して鎮座する。本殿の規模は桁行七間の梁間六間であり、屋根は入母屋造の檜皮葺である。正面に三間の向拝を備え、東西の両側面と北側の背面に「又庇(またびさし)」を巡らし、また背面の中央三間を突出させて閼伽棚(あかだな)とするなど、独特な外観を呈している。




本殿正面の向拝を望む
木鼻や蟇股(かえるまた)などに彩色彫刻が施されている

 本殿の内部平面は主祭神を祀る内々陣を中心に、内陣、外陣、礼堂(らいどう)を配し、両側面と背面に庇部屋を設けている。内々陣は桁行三間、梁間一間で折上小組格天井。床を高く張り、中央間に「素戔嗚尊」、東間には素戔嗚尊の妻である「櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)」、西間には八人の子である「八柱御子御子神(やはしらのみこがみ)」を祀っている。内々陣の手前一間は折上格天井の内陣であり、内々陣および内陣の正面にはそれぞれ三間通しの棚を備えており、これは他に類を見ない八坂神社ならではの特徴である。内々陣、内陣の周囲には一間幅の外陣を巡らしており、そのうち正面側は祭礼時に神職が着座する礼拝空間であるが、側背面は通路として用いられている。




本殿の両側面と背面には屋根の軒下から又庇が伸びている
庇の下には部屋が配され、複雑な内部空間を作り出している

 外陣の正面には二間幅の礼堂(らいどう)が設けられている。礼堂の天井は化粧屋根裏の両下造(りょうさげづくり)であり、これは元は別棟であった礼堂が本殿に取り込まれた経緯を示している。また外陣の側背面には庇部屋を設けており、そのうち両側面の庇部屋は竿縁天井の畳張りであり、東側は神職の控間や納戸、西側は参拝者の控間として使用されている。背面の庇部屋は板敷で登り柱に疎垂木の化粧屋根裏と簡素であり、祭具置場として使用されている。このように、八坂神社の本殿は内々陣から礼堂までをひとつの大屋根で取り込み、さらに庇を付して規模を拡張しており、これは平安時代の増築手法の特徴であると共に、社殿建築として最大級の規模を実現している。




境内末社の美御前社(うつくしごぜんしゃ)
本殿と同じく両側面と背面に又庇が付いている

 八坂神社本殿の再建は江戸幕府の直轄事業であったが、以降の修理は幕府の支援を離れ、町衆により行なわれてきた。貞永3年(1686年)の修理では氏子町の寄進で費用を補填しており、明和8年(1771年)の修理では祇園祭の山鉾を守る山町と鉾町、文政4年(1821年)の修理では轅町(ながえちょう)の人々が資金集めに尽力するなど、祇園祭を担う人々によって本殿が維持され続けてきたことも深い文化的意義があると評価されている。また八坂神社の境内には摂社や末社も数多く、中でも美御前社(天正19年(1591年)建立、重文)や北向蛭子社(正保3年(1646年)建立、重文)などは本殿と同じく側背面に又庇を備えており、八坂神社ならではの独特な境内景観を作り出している。

2008年02月訪問
2022年04月再訪問




【アクセス】

・JR「京都駅」から京都市営バス100系統206系統で約15分、「祇園バス停」下車すぐ。
・京阪鉄道京阪本線「祇園四条駅」から徒歩約5分。
・阪急電鉄京都本線「京都河原町駅」から徒歩約8分。

【拝観情報】

・拝観自由。

【参考文献】

八坂神社
八坂神社本殿|国指定文化財等データベース
・「月刊文化財」令和3年1月(687号)