巡礼19日目:モアサック〜オヴィラール(20.5km)






 「天気が変わった」。窓の外を見ていたジョンさんは、開口するなりそう言った。私もまた外を見てみると、晴天が続いていた昨日までとは打って変わり、空にはどんよりとした雲が立ち込めている。う〜ん、残念ではあるがしょうがない。雨が降っていないだけマシというものだろう。

 6時半に食堂の鍵が開いたので、私は昨日の夕食の残りであるスパゲティのソースをバケットにつけて食らった。牛乳とオレンジジュースを飲んでご馳走様である。さぁ、今日も行くとしよう。


ガロンヌ運河を西へ進む


自転車が颯爽と駆け抜けて行った

 モアサックの町を出てから、巡礼路はガロンヌ運河に沿って続いていく。昨日の夕方に歩いた運河を逆方向に行く形である。あちら側同様、こちら側にも並木がずっと立ち並んでおり、なかなかにゴキゲンな道である。自転車で走るのも気持ちが良さそうだ。

 緩やかにカーブする道をしばらく進むと、視界の先に閘門が見えた。通る船は無いものの、今日も運河は閘室に給水をしては排水を続けている。これはいわば運河の呼吸であろう。この運河の仕組みを見るたびに、良く考えられているものだと感心する。


給水中のラロケット閘門


給水完了、船は閘門扉を開けて進む

 ラロケット(Laroquette)から巡礼路は運河を離れて山方面へ行く。私としてはこのまま気持ちの良い運河沿いを進みたかった感があるが、道標が山を指しているのだからしょうがない。私はただ、道標に従い巡礼路を歩くのみである。


道標が示す通りに車道を登る


最初、この山道への入口を見落としてしまった

 そのまま車道を道なりに行くのかと思いきや、巡礼路は途中から横道へと入り未舗装路の山道となる。私は最初その事に気付かず、そのまま車道を直進してしまった。山道に入る際の道標が見にくくかったという事もある。

 坂を登り切った所で赤白マークの正しい巡礼路と合流し、私はそこで道を間違えていた事に気が付いた。黙って道を戻り、正しい巡礼路を歩き直す。道を間違えたままでは気持ちが悪い。道間違いに気が付いたら、即刻引き返すというのが私のルールである。


歩き直した山道は、すこぶる景色が良かった


曇りなのが残念極まりない

 再度先ほどの合流地点に出た後は、車道を少しだけ歩き、それからは再びアップダウンの激しい山道となった。本当にここを進んで良いのかと思うような細い道を行き、ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら急な坂道をえっこらえっこらよじ登る。


民家の庭先といった感じの所から山道に入る


面前に物凄く急な上り坂が見えて怯む


しばらく上り下りを繰り返した

 途中にあったブドゥー(Boudou)という村で休憩し、さらに山道を進んでいくと、しばらくして景色の開けた車道の道に出た。時間は正午少し前、ちょうど良く教会が建っていたので、そこで昼食にする事とした。


山の向こうには原子力発電所が見える

 その教会からは、ガロンヌ川の中州に建つゴルフェッシュ(Golfech)原子力発電所の冷却塔が見えた。湯気をもうもうと吐き出す末広がりな円筒形の冷却塔は、まるで火山のようである。しかし川の中州に原発とは、水量豊富なガロンヌ川が原発に最適とはいえ、河川が氾濫しやすく地震の多い日本では考えられない立地であろう。

 フランスは電力の約77%を原子力発電に頼る原発大国である。故に、原発抜きでは国が成り立たない。それだけに、日本の福島第一原子力発電所の事故はフランス国民も強く関心を持っているようだ。私はこれまで、二度ほどフランス人から「フクシマ」の名を聞いた。最初はフィジャックの酔いどれおじさん、二度目は昨日泊まった宿の受付だ。

 彼らがどういう意図でその単語を口に出したのかは分からないが、まぁ、問題が問題なだけに、色々と考えさせられる昼食となった。


山を下りて町に出る


そこからは、再び運河沿いの道となる

 昼食休憩の後は、山を下ってマローズ(Malause)という町に出た。ここはスーパーもあるそこそこ大きな町なのだが、私が到着した頃は既にランチタイムの時間に突入しており、店は全て閉まっていた。まぁ、必要なものはこれといって無かったので、特に問題は無いのだが。強いて言えば、ビールが手に入らなかった事くらいだろうか。

 マローズからは再び運河沿いの道となる。結局運河に戻るなら、山に入らず運河沿いをそのまま行けば良かったんじゃないかという声が聞こえてきそうな気もするが、まぁ、何度も言うようで恐縮だが、私はあくまで巡礼路の道標に従うのみである。そもそも、巡礼が盛んだった中世の頃には、この運河は無かったワケだし。


しかし、やはり運河沿いの道は雰囲気が良い


ちょうど船が閘門に入るところだった


運河に架かる橋もいちいち味がある


歩く事が全く苦にならない道だ

 巡礼路はポムヴィック(Pommevic)の町辺りで運河を外れ、橋を渡って南へと進路を変える。そこからは車道をひたすら歩き、本日の目的地であるオヴィラール(Auvillar)へ至る。

 その道すがら、携帯電話で話をしている最中のジョンさん夫妻と会った。どうやら、電話の相手は娘さんのようである。先日、ラスカバンへの道の途中でも、ジョンさんとマイティさんは娘さんと電話で話をしていた。

 私は目配せとジェスチャーでお二人に挨拶し、電話の邪魔にならないように先へと進む。お二人はこの巡礼途中にお孫さんが誕生したらしく、頻繁に娘さんと連絡を取っているようだ。なんとも喜ばしい事ではないか。


車道を行き一路オヴィラールを目指す


オヴィラールはガロンヌ川沿いの丘にあった


ここもまた、趣深い町である

 15時半頃、私はオヴィラールに到着した。早速、昨日ジョンさんが予約してくれたジット・コミュナルを探す。この町のジット・コミュナルは、一昨日のロゼルトと同様オフィス・ド・ツーリズモが窓口になっていると聞いた。私はオフィス・ド・ツーリズモでスタンプを貰い、予約名を告げて宿泊料金を支払う。ジットへは係りの人が案内してくれるようだ。

 ジットに向かうその途中、既に到着していた巡礼者の一行とばったり会った。ロゼルトの町でハンバーグをくれたピエールさんご夫婦、それと一昨日ザックのヒモを締めてくれたコンニチハおばさんたちのグループである。彼らは私を見るなり目を見開き、両手を広げて声をそろえ、「ターケー!」と私の名を呼んでくれた。

 この出迎えに、私は心の底から感激した。っていうか、たぶん泣きそうになっていた。みんなが私を巡礼者の仲間だと認識してくれているようで嬉しかった。ジットへ案内してくれていたオフィス・ド・ツーリズモのお兄さんも「良い人たちだね」と言ってくれた。私もまたそう思う。みんな、どこまで良い人たちなのだろう。


円形の集会場のような建物が印象的なオヴィラールの広場


オヴィラールもまた「フランスで最も美しい村」である

 シャワーを浴びてクロックスを突っ掛け外に出てみると、いつの間にか空の雲は晴れ、素晴らしい天気になっていた。せっかくなので、そのまま町の散歩に出かけてみる。

丘の上に存在する町は、昔ながらの歴史ある町である事が多い。このオヴィラールもまたその例にもれず、通りに面して古い建物が建ち並ぶ、素晴らしい町並みを見る事ができた。赤と白のコントラストがかわいらしい建物が多く、お気に入りの町の一つである。


オヴィラールのシンボルである入口の塔


そこから見る町並みが素敵だ


円錐の塔が印象的な教会

 一時間もあれば十分に見て周れるくらいの町ではあるが、入口の塔や12世紀から17世紀に建てられたサン・ピエール教会など、見どころはなかなか多い。私はビールを飲みつつ猫なんぞと戯れたりしながら、町を隅から隅まで見て周った。

 ジットでの夕食は非常に楽しいものとなった。今日の宿には顔見知りのメンバーが多く、私の他にKさん、Rさんの日本人三人が再びそろったのも凄いが、さらにジョンさん夫妻、ピエールさん夫妻にコンニチハおばさんのグループ、その他巡礼路上で顔を合わせた事のある人たちが大勢泊まっていた。

 食後の会話も弾みに弾み、幼稚園の教諭であったKさんは得意の縦笛を演奏し、私は持って来ていた四国遍路の白衣を披露したりもした。さらにはウルトレイヤ(Ultreia)という巡礼者の歌の大合唱である。ジョンさんが歌詞カードを取り出し、ピエールさんはそれを私に渡して歌え歌えと急かす。


ジョンさんが持っていたウルトレイヤの歌詞カード

 フランス古語の歌詞はまったくもって読み方が分からないが、なんとかそれっぽく歌う事ができた……と思う。聞くところによると、コンクのカテドラルで行われる巡礼者ミサでは、巡礼者たちがこのウルトレイヤを合唱するのだそうだ。なんと!コンクにそんな重要イベントが隠されていたとは。ル・ピュイの出発ミサといい、コンクのミサといい、どうも私は結構な割合で参加すべきミサを見逃してしまったようだ。

 旅行において、情報が多すぎると驚きが薄れてしまったり、自ら発見するという楽しみが失われてしまう。とは言え情報が少なすぎると、このように興味深いイベントをスルーする事になってしまう。いやはや、なかなか難しいものである。