龍安寺方丈庭園

―龍安寺方丈庭園―
りょうあんじほうじょうていえん

京都府京都市
特別名勝 1954年指定


 平安京都は右京、北山の地にそびえる衣笠山(きぬがさやま)。そのたもとに位置する大雲山龍安寺は、臨済宗妙心寺派の仏教寺院である。金閣で有名な鹿苑寺や、天皇家とゆかりの深い仁和寺など、名高い寺院の多いこの北山において、龍安寺を名刹たらしめているのは、室町時代より続くその由緒のみならず、方丈に備わる枯山水庭園によるところが大きい。石庭とも呼ばれる龍安寺の方丈庭園は、長方形の敷地に白砂を敷き詰めて石を配しただけの非常にシンプルなものながら、他に類を見ない独特の枯山水庭園に仕上がっている。徹底的に無駄を排し、極めて巧みな技術によって構築されたその石庭は、見る者に禅の境地を思わせる名庭として特別名勝に指定されている。




春、淡い桃色の枝垂桜が石庭を彩る

 龍安寺が位置するその地には、室町時代、藤原北家の支流である公家の一門、徳大寺(とくだいじ)家の別邸が存在した。その土地を有力大名の細川勝元(ほそかわかつもと)が譲り受け、妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を初代住職として招き、宝徳2年(1450年)に開いた禅寺が龍安寺である。細川勝元は官領として幕府の政権を掌握し、多大なる力を持っていた人物で、後に畠山家の家督争いにて山名持豊(やまなもちとよ)と対立し、応仁の乱を招いた人物でもある。龍安寺は勝元自らが起こしたその応仁の乱にて焼失。後の長享2年(1488年)、勝元の子である細川政元(ほそかわまさもと)によって再興された。その後は時の権力者による庇護を受け、現在まで存続していく。




龍安寺方丈(重要文化財)を玄関から見る
2009年から2010年にかけて屋根の葺き替えが行われ、美しく蘇った

 龍安寺の方丈が最初に建てられたのは明応8年(1499年)。方丈庭園もまた、この時期に築庭されたと考えられる。その後の寛政9年(1797年)に起きた火災によって方丈は仏殿などと共に焼失。現在に残る方丈は、織田信長の弟である織田信包(おだのぶかね)によって慶長11年(1606年)に建てられた龍安寺の塔頭、西源院の方丈を移築したもので、以降は龍安寺の本堂として機能していた。その方丈の内部には、狩野派の主要絵師である狩野永徳(かのうえいとく)の次男、狩野孝信(かのうたかのぶ)の手による襖絵が飾られていたが、明治の廃仏毀釈の混乱で売却され、現在は皐月鶴翁(さつきかくおう)が昭和28年(1953年)から5年をかけて描いた龍の襖絵が飾られている。




庭園に配された15の石は、どの位置から見ても14個しか見えないという
15は完全を意味する数字だが、この庭園は完全には成り得ない

 石庭こと龍安寺方丈庭園は、幅約25メートル、奥行き約10メートル、75坪ほどの庭に、白砂を敷いて帚目(ほうきめ)を付け、大小15個の石を5ヶ所に分けて配した枯山水庭園である。その作者は諸説あり、開山の義天玄承、開基の細川勝元、室町幕府に仕えた絵師の相阿弥(そうあみ)などの説があるがいずれも確証は無い。また庭石の一つに「小太郎・口二郎」との刻印があるが、これも作者のものかは不明である。石庭のモチーフも諸説あり、それは大海原に浮かぶ島々だとも言われ、「心」の字に石を配しているのだとも言われ、また中国の故事にある「虎の子渡し」を表現しているとも言う。しかしながらこれもまた確証は無く、結局の所その解釈は見る者に委ねられているのである。




複雑な文様を見せる背後の土塀は、石庭を引き立てる重要な要素である

 またこの石庭は、驚くほど高度な設計の元に作られた庭園である。一見すると、平らに見える白砂は、排水のため左手奥に向かってわずかに傾斜している。庭園を取り囲む土塀の高さも一定ではなく、方丈より向かって左手から右手にかけて低く築かれており、左手側(玄関側)から庭園を眺めると、逆遠近法によって庭園の奥行きがより大きく感じられるのである。またこの土塀は、菜種油を練り込んだ土によって築かれている事から油土塀とも呼ばれている。部分部分によって様々な色合いを見せるその塀は、モノクロームの枯山水庭園を縁取る重要な構成要素である。土塀の背後に植えられた、色鮮やかな枝垂桜を始めとする木々もまた同様である。




ソメイヨシノが咲き乱れる、龍安寺の鏡容池(きょうようち)

 龍安寺の庭園といえば石庭の方丈庭園があまりに有名であるが、境内の大部分を占める鏡容池(きょうようち)を中心とした池泉回遊式庭園もまた、優れた景観を誇る龍安寺の前庭として国の名勝に指定されている。その庭園を取り囲む木々は、背後にそびえる衣笠山と共に龍安寺の伽藍全体を包括し、境内に静謐な環境を作り出している。土塀によって閉じられ、完璧にコントロールされた方丈庭園とはまた違い、総門をくぐって境内に入った途端面前に広がるその池泉回遊式庭園は、江戸時代には方丈庭園よりも広く知られる存在であった。当時の観光ガイドである平安京都名所図会にも、中央に弁天島が浮かび、水鳥が集うその庭園の様子が克明に描かれているのである。

2010年04月訪問




【アクセス】

「京都駅」からJRバス「周山行き」で約30分、「龍安寺バス停」下車すぐ。
JR山陰本線「円町駅」から京都市営バス26系統で約15分、「龍安寺バス停」下車すぐ。
京福電車「龍安寺道駅」より徒歩約7分。

【拝観情報】

拝観料500円、拝観時間は3月〜11月が8時〜17時、12〜2月が8時30分〜16時30分。

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