慈照寺(銀閣寺)庭園

―慈照寺(銀閣寺)庭園―
じしょうじ(ぎんかくじ)ていえん

京都府京都市
特別史跡 1952年指定
特別名勝 1952年指定


 京都盆地の東端を南北に貫く東山。その翠巒美しい山々の麓には、古来より数多くの寺社が営まれてきた。慈照寺もまたその一つ、大文字山の麓にたたずむ臨済宗相国寺派の仏教寺院である。慈照寺の創建は室町時代中期、室町幕府第八代将軍足利義政(あしかがよしまさ)が、晩年の隠居所として造営した東山山荘を前身とする。その境内に広がる庭園には、銀閣と呼ばれる楼閣建築が建ち、同じく楼閣建築の金閣を有するが為に金閣寺と称される鹿苑寺と並び、銀閣寺と呼ばれている。慈照寺の庭園は、鹿苑寺の金閣に代表される華やかな北山文化とは対照的な、わびさびを重んじる東山文化の名庭として知られており、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。




庭園と調和する、落ち着いたたたずまいの銀閣

 義政が東山山荘を築く以前、その場所には浄土寺という天台宗の門跡寺院が存在した。義政の弟である足利義視(あしかがよしみ)は、出家してこの浄土寺にいたものの、子に恵まれなかった義政の将軍継嗣問題が発生すると還俗させられ将軍継嗣となる。ところがその翌年、義政とその正室である日野富子(ひのとみこ)の間に足利義尚(あしかがよしひさ)が誕生。富子は義尚を将軍にすべく山名持豊(やまなもちとよ)に協力を依頼し、義視の後見人であった細川勝元(ほそかわかつもと)と対立する。しかし義政は曖昧な態度を取り続け、また畠山氏など有力大名の家督相続問題も相まって、ついに応仁元年(1467年)に応仁の乱が勃発。京都は焦土と化し、浄土寺もまた灰燼に帰した。




東山山荘時代から残る東求堂(とうぐどう)を望む
東求堂の手前には白鶴島が、さらにその手前には大内石が配される

 文明5年(1473年)に持豊と勝元が相次いで死去すると、義政は義尚に将軍職を譲り隠居する。そして応仁の乱が収束した後の文明14年(1482年)、義政は浄土寺の跡地に東山山荘の造営を開始した。若くして将軍職を継いだ義政は政治への関心が薄く、生涯に渡り趣味に生きた人物であった。義政はそれまでに培ってきた美意識を集成させて東山山荘の造営に臨んだが、荒廃した世の中においては資金や材料の調達が難しく、数多くの大名や寺院に半ば無理やり木石を献納させたという。東山山荘の造営は極めて長期に渡り、義政は銀閣が完成する前の延徳2年(1490年)1月に死去。東山山荘はその遺言により臨済宗の禅寺へと改められ、義政の法号より慈照寺と名付けられた。




複雑に木石が配され、なんとも侘びた風情を見せる

 戦国時代の永禄元年(1558年)には、慈照寺の近隣で第15代将軍足利義昭(あしかがよしあき)と三好長慶(みよしながよし)の戦いが勃発。その戦火により、慈照寺の建物は銀閣と東求堂を残し失われてしまった。また織田信長が義昭の為に二条城を築城した際には、慈照寺の庭園から九山八海石が運び出されている。以降は荒廃を極めたものの、江戸時代初期の慶長20年(1615年)に丹波守の宮城豊盛(みやぎとよもり)が建物の再建と庭園の改修を行い、またその整備は孫の宮城豊嗣(みやぎとよつぐ)にも引き継がれ、慈照寺は禅寺にふさわしい姿に整えられた。現在見られる慈照寺の景観はこの改修による変更が大きく、東山山荘時代とは景観が大きく異なっている。




銀沙灘(ぎんしゃだん)越しに見る向月台(こうげつだい)と銀閣

 東山山荘時代に義政が築いた庭園は、平地に錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園を築き、その裏山には巨大な滝組の枯山水庭園を築くという、上下二段の構成であった。これは、作庭の名手である夢窓疎石が暦応2年(1339年)に造営した西芳寺の庭園を規範とするもので、義政の祖父である足利義満(あしかがよしみつ)が築いた北山山荘(鹿苑寺)と同様である。なお、江戸時代初期の改修においても、この上下二段の構成は引き継がれている。錦鏡池の西側には西芳寺の瑠璃殿を模した銀閣が建てられ、またその東隣には同じく西芳寺の西来堂を模した東求堂が建てられていたが、そのうち東求堂は改修時に錦鏡池の北側、方丈の東隣へと移されている。




裏山から見た慈照寺庭園

 慈照寺庭園の構成要素で最も目を引くのは、石英を含む白砂で作られた銀沙灘と向月台であろう。中国西湖の波打つ風景を表したという銀沙灘と、富士山状に盛られた砂山の向月台は、月に照らされる光の反射を意識して作られたと言われている。いずれも江戸時代初期の改修時に築かれたもので、その白砂は緑の木々や茶褐色の銀閣によく映え、禅寺にふさわしい落ち着いた美しさを醸している。また、慈照寺の玄関である総門から庭園の入口である中門まで伸びる鉤形の参道には、低い石垣の上に銀閣寺垣と呼ばれる竹垣を立て、さらにその上に高い生垣を生やすという銀閣寺独自の垣根が巡らされており、庭園への導線として俗世との結界を担っている。

2007年02月訪問
2011年02月再訪問




【アクセス】

「京都駅」から京都市営バス100系統で約40分、「銀閣寺前バス停」下車、徒歩約5分。

「四条河原町駅」から京都市営バス32系統で約30分、「銀閣寺前バス停」下車、徒歩約5分。

【拝観情報】

拝観料500円、拝観時間は3〜11月が8時30分〜17時、12〜2月が9時〜17時。

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