黒石市中町

―黒石市中町―
くろいししなかまち

青森県黒石市
重要伝統的建造物群保存地区 2005年選定 約3.1ヘクタール


 津軽平野の東部、八甲田山を望む黒石は、弘前藩の支藩である黒石藩の町であった。江戸時代初期に、黒石藩の原型である黒石津軽氏の陣屋が置かれて以降、黒石は商業の町として発展していく。今でも黒石市中町には、江戸時代中期から明治時代にかけて作られた商家建築が建ち並び、こみせと呼ばれる木造アーケードが連なる雪国ならではの商家町景観を目にすることができる。




酒屋を営む鳴海家住宅

 弘前藩二代藩主、津軽信枚(つがるのぶひら)の次男である信英(のぶふさ)は、明暦2(1656)年に弘前藩より5000石を分知され、黒石津軽氏として黒石を治めることとなった。信英はまず黒石陣屋を置き、続いて町割を行った。現在の黒石の町はこの時の町割が元となっている。弘前と青森を結ぶ浜街道の中間点に位置していた黒石は、交通の要所として、そして商業の中心地として大いに賑わった。




酒蔵が配されている鳴海家住宅の裏手

 黒石市中町は、陣屋跡から東北に行った浜街道沿いにある商家町だ。中町では造り酒屋や米穀店、味噌、醤油などの店、呉服店が並んでおり、津軽商家特有の、切妻屋根の主家を持つ商家を見ることができる。その緩やかな勾配を持つ巨大切妻屋根は迫力あって見ごたえがあるが、しかし、何より中町の町並みを特徴付けているものは、やはり「こみせ」であろう。




こみせ内部の光景

 黒石の通りに面した家においては、道路より一間(1.8m)ほど後ろに建物を建て、その分ひさしを張り出しアーケードのような通路空間を作り出した。これがこみせ(小見世)である。このこみせを作ったことにより、冬に雪が降っても歩行が可能となり、また夏は強い日差しを避け、いつでも快適に往来ができるようになった。黒石の町にこみせが作られ始めたのは、黒石の町割を行った津軽信英の指示によるものであったという。




戸の閉まっているこみせ
こみせは本来、戸を閉めて雪を完全に遮断するという

 かつて黒石では、市街地のほぼ全てにこみせが巡らされており、その総延長は4800mにも達していたという。しかし火災による消失や、道路の拡張などの開発によってこみせは次々姿を消し、昭和40年までにその大半が失われてしまった。現在は、中町にわずか280mほどが残るのみだ。それでもこのような木造アーケードがまとまって残っている例は少なく、全国的に見ても貴重な町並みなのである。




重要文化財の高橋家住宅

 中町の中心にある高橋家は黒石藩御用達の商家である。屋号を「米屋」とし、その名の通り米や穀物を中心に、醤油や味噌などを取り扱っていた。主家は宝暦13(1763)年頃に建てられたと推測される、切妻造りの中二階建て。玄関は吊り上げ式の大戸となっており、吹き抜け天井や出格子窓を持つという、典型的な津軽地方の大型商家建築である。建設当時、屋根は木の皮を重ねて葺いた長柾葺(ながまさぶき)であったが、現在はトタンで葺かれている。

2007年10月訪問




【アクセス】

弘南鉄道弘南線「黒石駅」より徒歩約10分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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