―弘前市仲町―
ひろさきしなかまち
青森県弘前市 重要伝統的建造物群保存地区 1978年選定 約10.6ヘクタール 弘前藩を治めていた津軽氏の居城、弘前城。その北の入口である亀甲門を出てすぐのところに若党町、馬喰町、小人町がある。これらはかつて仲町(なかちょう)と呼ばれた地区に当たり、弘前藩の武士たちが住んでいた武家町であった。現在もこの辺りは武家町当時の町割りを留めており、また屋敷を囲うサワラの生垣や黒板塀、門なども残され、往時の様子を今に知ることができる。 関ヶ原の戦いで徳川側に付いた津軽為信は、徳川家康より加増を受け弘前藩を立ち上げた。為信は慶長8(1603)年より弘前城の築城を始めるものの、翌年死去し工事は中断されてしまう。しかしその後、為信の三男であり弘前藩二代藩主となった津軽信枚がそれを再開させ、再開後わずか1年1ヶ月という驚異的な速さで弘前城は完成した。 現在、弘前城の追手門(城の正門)は城の南側に位置しているが、それは四代藩主の津軽信政によって後に変更されたものであり、築城当時の追手門は現在の亀甲門、つまり北側に位置していた。仲町はこの追手門を守るために置かれた武家町の一部なのである。当時ここには地位の高い武士の親族が家を置き、追手門の守護に当たっていた。 仲町の最大の特徴は、やはり道路から見た町並み景観だろう。通りには緑鮮やかなサワラの生垣や、煤を混ぜた柿渋で塗られた黒板塀が連なっており、ところどころに立派な門が口を開いている。生垣にサワラが用いられているのは、サワラは外からは内部が見えにくく、内部からは外への見通しが利き、屋敷の防衛に適していたからだ。また、サワラの実は非常食にもなるという。 武家屋敷の主家自体は残念ながらあまり多く残っておらず、ほとんどが現代の建築であるが、それでも数件の古い武家屋敷が保存地区内には存在しており(移築を含む)、かつての武家屋敷の姿を実際目にすることができる。中でも旧岩田家住宅は寛政年間末から文化年間に建てられた180年ほど前のものであると見られ、その茅葺屋根の主家はほぼ当時のままに姿を残している武家屋敷として貴重である。 保存地区の外になるが、亀甲門のすぐ前には重要文化財の商家建築、石場家住宅がある。建てられた正確な時期は不明だが、江戸時代の中頃ではないかと見られている。石場家は屋号をマル世(まるせ)と称し、弘前藩の御用商家としてわら工品などの雑貨を中心に取り扱っていた。その店先にはこみせと呼ばれる雪除けのアーケードが設けられており、雪国ならではの工夫を見ることができる。 2008年10月訪問
2015年10月再訪問
【アクセス】
JR奥羽本線「弘前駅」より弘南バス「浜の町行き」で約15分、「亀甲門前」下車、徒歩約3分。 JR奥羽本線「弘前駅」より徒歩約40分。 【拝観情報】
町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 ・黒石市中町(重要伝統的建造物群保存地区) ・金ヶ崎町城内諏訪小路(重要伝統的建造物群保存地区) ・仙北市角館(重要伝統的建造物群保存地区) ・萩市堀内地区(重要伝統的建造物群保存地区) Tweet |