下郷町大内宿

―下郷町大内宿―
しもごうちょうおおうちしゅく

福島県南会津郡下郷町
重要伝統的建造物群保存地区 1981年選定 約11.3ヘクタール


 会津から下野の今市(現在の日光市今市)に至る道を会津西街道と呼ぶ。会津西街道は、会津と関東地方を結ぶ主要街道として、江戸−会津間の物流や会津藩の参勤交代において重要な役割を担っていた。大内宿はこの会津西街道の宿場の一つであり、村の人々は半農半宿で生計を立てていた。今でも大内宿では宿場時代の面影が色濃く残っている。




裏山から見る大内宿の全景

 大内宿は450mほどの緩やか坂道になっている街道に沿い、40戸あまりの寄棟造りの茅葺家屋が立ち並んでいる。それらは街道に対しおおむね妻側を向けて建てられており、家屋の間隔もそろっているため整然とした印象を受ける。家屋の裏手には蔵を配し、さらにその背後には棚田が広がっており、大内宿が持つ宿場と農村という二つの性質がうかがい知ることができる。




茅葺の家屋が整然と並ぶ宿場の町並み

 家屋は通りから少し奥まった位置に建てられており、街道と主屋の間には6mほどの空き地が設けられている。これは馬を停めておくためのスペースで、ここに馬を繋ぎ、餌やりや荷物の付け替えなどを行っていた。また、軒下に葦の束をいくつか吊るしている家も見られるが、それは果樹を受粉に役立つマメコバチを飼うための巣である。




家屋の前には水路が通る

 宿場内には道に沿って水路が通されており、清らかな水の流れを湛えている。この水路は今でこそ道の両脇に付け替えられているものの、かつては道の真ん中に通されていた。水路には降りるための石段が設けられ、その水は生活用水として使われていた。今でも時折、この水路にて野菜などを洗う風景を目にすることができる。




高倉宮以仁王を祀る高倉神社

 南北に通る宿場の西側には、高倉神社が祀られている。これは平清盛に反旗を翻し、治承4(1180)年の宇治川の戦いで敗れた高倉宮以仁王を祭神とする神社であり、この付近一帯の鎮守社でもある。大内宿には敗走した高倉宮以仁王が一時身を潜めたという伝説が語り継がれており、毎年7月2日には高倉宮以仁王を祀る半夏(はんげ)祭りが行われている。




大内宿では日本の原風景を目にすることができる

 大内宿は戊辰戦争における激戦地でもあった。敗走する会津軍は、後からやってくる官軍の助けにならぬよう、街道沿いの集落を焼き払っていった。大内宿もまた焼かれそうになったものの、村の名士たちが会津軍と掛け合い何とか事なきを得たという。明治に入ると会津三方道が開通し、会津西街道は廃れて大内宿は宿場としての機能を失った。しかし廃れたことが幸いし、江戸時代の宿場風景が大きく変化することなく今に残ったのだ。

2008年04月訪問
2015年05月再訪問




【アクセス】

会津鉄道「湯野上温泉駅」から徒歩約90分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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