東御市海野宿

―東御市海野宿―
とうみしうんのじゅく

長野県東御市
重要伝統的建造物群保存地区 1987年選定 約13.2ヘクタール


 長野県東部、東御市の本海野は、北国街道の宿場町、海野宿として江戸時代に栄えた町である。北国街道(ほっこくかいどう)は、海野宿より東の追分宿から、中山道と分岐して北陸へと至る道のことであり、善光寺への参拝や佐渡からの金運搬などに利用される重要な街道であった。




海野宿の町並み

 もともと海野宿は、隣の田中宿と上田宿の間にある宿場だった。しかし、寛保2年(1742年)に起きた千曲川(ちくまがわ)の氾濫によって田中宿が壊滅したことにより、本陣が田中宿から海野宿に移動した。それにより正規の宿場となったことで、海野宿は他を凌ぐ発展を見せた。




寛政年間(1789〜1801年)に建てられた出桁造りの旅籠
明治以降に養蚕も行われ、養蚕農家としての一面も併せ持つ

 しかし、明治に入ると鉄道が敷かれ、宿場町としての海野宿は衰退してしまう。その代わりにとなったのが養蚕の種紙生産だ。明治時代、日本政府は外貨獲得のため輸出用の絹の生産、すなわち養蚕を推奨していた。海野宿では宿の部屋を養蚕用に改装し、蚕のもととなる種紙(卵の付いた紙)を生産することで、本海野は宿場時代以上の繁栄を遂げた。




海野格子に小屋根を持つ典型的な海野宿の家屋

 現在も本海野には、宿場町時代や養蚕時代の様子が偲ばれる見事な町並みが残されている。650mほどの通りには、堰(せき)と呼ばれる用水路が流れ、その両脇には切妻平入り二階建ての建物が建ち並ぶ。これらの二階に見られる、長短が2本ずつはめられた出格子は海野宿独特のものであり、海野格子と呼ばれている。




豪華な卯建(うだつ)が上がる家

 海野宿の家屋の屋根には、気抜きと呼ばれる小屋根が乗っているものが多いが、これは養蚕時代の名残りである。温度が重要な養蚕を行う際には、まず最初に火を焚いて部屋を暖める必要がある。この気抜きは焚いた火の煙の排出や換気を行うためのものなのである。また、主要な家に見られる卯建(うだつ)も、もとは火災から家を守る役目を持つ。




海野宿入口に鎮座する白鳥神社

 かつての海野宿の通りの出入り口には、防衛上の理由により枡形が設けられ、宿場の見通しが利かないように工夫されていた。そのうちの東枡形があった場所近く、つまり宿場の東端には白鳥神社がある。白鳥神社は、海野という名のもととなった豪族、海野氏の氏神を祀る神社である。海野氏が滅びてからも、本海野の産土神(うぶすなかみ。その土地を守る神)として人々の信仰を集めてきた。

2007年03月訪問




【アクセス】

しなの鉄道線「田中駅」より徒歩約20分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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