近江八幡市八幡

―近江八幡市八幡―
おうみはちまんしはちまん

滋賀県近江八幡市
重要伝統的建造物群保存地区 1991年選定 約13.1ヘクタール


 琵琶湖の東部に位置する近江八幡は、中世より日本全国、時には海外で活躍した近江商人の中心地として栄えた商家町である。その中でも新町通りと永原通り、および八幡堀周辺には、今でも江戸時代から明治にかけて建てられた商家の町並みが良好に見られ、古くより信仰の対象となってきた日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)の境内と共に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。




巨大な倉が建ち並ぶ八幡掘

 近江八幡が商家町として栄えるようになったそもそものきっかけは、天正13(1585)年、豊臣秀吉の甥である秀次が八幡山に城を築いたことに始まる。秀次は八幡山の周囲に琵琶湖へと続く八幡堀を巡らせ、その外側南部を城下町として整備した。町割りは京都の町を参考にして碁盤目状に行われ、その整然と縦横に走る近江八幡の道は、ほぼ当時のそのまま今に残っている。




永原町通り突き当りに位置する商家

 秀次は商工業の発展を推進すべく、織田信長亡き後の安土より多数の商人、職人を城下町に呼び寄せた。秀次はそれらの者に楽市楽座や諸役免除などの特権を与え、商工業発展の礎を作り上げたものの、わずか5年で転封となってしまい、失脚する。それでも八幡商人たちは近江八幡を基点とし、全国を周る行商となり各地で成功を収めていった。




「見越しの松」がアクセントとなっている新町通りの町並み

 八幡商人たちが建てた近江八幡の商家は、切妻平入で中二階建てが一般的だ。正面は格子や出格子、虫籠窓などを配しているものが多い。また、道路に面した庭に見越しの松を置くのも八幡商家の特徴である。屋根は桟瓦(さんがわら)葺き。桟瓦とは、丸瓦と平瓦を一つにまとめた軽量かつ安価な瓦であるが、この桟瓦を考案したのも近江商人、大津の西村半兵衛であった。




国の重要文化財に指定されている旧西川家住宅

 最も町並みが良好に残る新町通りには、重要文化財の旧西川家住宅がある。これは江戸時代から明治時代にかけて活躍した近江八幡を代表する商人、西川利右衛門の屋敷である。西川利右衛は屋号を大文字屋と称し、畳表や蚊帳などの販売で財を成した。現在の建物は3代目によって宝永3年(1706年)に建てられたもので、その部屋数は20にもなる。




明治40年(1907年)に建てられたアンドリュース記念館

 近江八幡の町にはアンドリュース記念館や旧八幡郵便局など、数多くの洋館が残されている。これらは、日本で数多くの西洋建築を作ったアメリカ出身の建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの手によるものだ。ヴォーリズはメンタームで有名な近江八幡の製薬会社、近江兄弟社の創立者でもあり、1958年には近江八幡市の名誉市民第一号に選ばれている。

2008年03月訪問




【アクセス】

JR東海道本線「近江八幡駅」より徒歩約30分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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