湯浅町湯浅

―湯浅町湯浅―
ゆあさちょうゆあさ

和歌山県湯浅町
重要伝統的建造物群保存地区 2006年選定 約6.3ヘクタール


 紀伊半島西部、紀伊水道に面したリアス式海岸の入り江の奥に位置している湯浅町は、天然の良港を持つ港町として、また紀伊路の宿場町として古くより栄え、有田地方の中心を担ってきた。特に紀伊路古道の西側、西に海を、北に山田川を臨む一帯には、今もなお江戸時代に作られた町割がそのままに残されている。また、湯浅は醤油発祥の地としても知られており、北町通りには昔ながらの醤油蔵が建ち並び、芳しい醤油の香りを辺りに漂わせている。




湯浅町の裏路地

 古くより湯浅は、湯浅氏という豪族の拠点として栄えていた。大阪から田辺へ至る紀伊路の途上にある湯浅は、熊野詣を行う上皇や貴族の宿所としての機能も持ち、また中世以降、庶民の間でも熊野詣が盛んになると、湯浅は宿場町として大々的に発展していった。16世紀末ごろからは紀伊路沿いのみならずその西部にも町が拡張され、また17世紀後半には町はさらに海沿いにまで広がっていった。




江戸時代からの町家や醤油蔵が建ち並ぶ北町通り

 湯浅重伝建では、醤油蔵の並ぶ北町通りと、北町通りから南へ走る浜町通り、中町通り、鍛治町通りの四つの通りを中心に町並みが成る。古道の西側、16世紀末以降に作られた海に近いエリアであるこれらのエリアには、間口の広い町家や土蔵が建ち並び、歴史ある町並み景観を作り出している。湯浅の町家は本瓦葺きの切妻造平入り、紀州連子と呼ばれる細く間隔の狭い格子戸が多い。商家の中には、腰ほどの高さで切れる取り外しが可能な半格子がはめられているものもある。




今も伝統的な製法で醤油を作りつづけている角長(かどちょう)

 湯浅の町並みを特徴付けているのは、何と言っても醤油蔵であろう。鎌倉時代の1254年、紀伊の由良にある興国寺の開祖、法燈円明(ほうとうえんめい)国師が南宋の鎮江(現在の中国は江蘇省鎮江市)の金山寺で作られていた金山寺味噌を持ち帰った。金山寺味噌はたちまち有田地方に広がり、湯浅でも作られるようになったという。この製造過程で染み出てきた水分を食してみたところ大変美味で、それより醤油という調味料として作られるようになったのだという。




かつて醤油の積み下ろしが行われていた大仙掘側から見た醤油蔵

 それ以降、湯浅は醤油の町として知られるようになった。江戸時代には紀州藩の庇護を受けてますます醤油の生産が盛んになり、1804年から1818年の文化年間には92軒もの醤油屋が湯浅にひしめいていたという。明治以降は藩の保護が無くなったことで醤油蔵が減り、近代化の波もあって現在では醤油蔵はわずかな数しかない。そのような中、今も残る醤油蔵の一つとして角長(かどちょう)がある。北町通りに位置する角長の裏手には大仙掘と呼ばれる石積の内港があり、かつてはここから醤油やその原材料の荷揚げや積み下ろしが行われていた。




「七曲り」と呼ばれる小路の光景

 湯浅の町並みは通り沿いだけに終わるものではない。北町通りなどの主要な通りを繋ぐように、小路(しょうじ)または小路小路(しょうじこうじ)と呼ばれる小道が網の目のように張り巡らされており、そこでは小規模な町家や長屋など、より生活感のある町並みを見ることができる。これらの小路は人がすれ違うのもやっとぐらいの狭さではあるが、湯浅の地に住む人々の暮らしに根付いた路地であり、これらもまた湯浅らしい町並みであると言える。

2009年01月訪問
2010年08月再訪問




【アクセス】

JR紀勢本線「湯浅駅」より徒歩約15分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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