たつの市龍野

―たつの市龍野―
たつのしたつの

兵庫県たつの市
重要伝統的建造物群保存地区 2019年選定 約15.9ヘクタール


 兵庫県の南西部、揖保(いぼ)川の西岸にたたずむ鶏籠山(けいろうざん)の南麓に、西播磨の中心地として栄えた龍野の町場が広がっている。戦国時代に龍野城が築かれてからは城下町として賑わい、また江戸時代中期に醤油の生産が盛んになったことで醸造町としても発展した。現在も旧城下町の町人地には江戸時代中期から昭和初期にかけて築かれた商家建築が建ち並んでおり、醤油醸造に伴う土蔵や洋風事務所などが醸造町ならではの町並みを形成していることから、かつて「龍野五町」と呼ばれていた「上川原」「下川原」「横町(現在の大手)」「立町」「下町(現在の本町)」を中心とする東西約560メートル、南北約850メートルの範囲が国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。




龍野城の南に面する「大手」には、土蔵造りの醤油工場が並ぶ

 龍野は古代から山陽道や美作道が通る交通の要衝であった。戦国時代に播磨を領した赤松氏は鶏籠山の山頂に龍野城を築いて居城としたものの、天正5年(1577年)に織田信長の命を受けた羽柴秀吉による中国攻めで開城し、以降は城主が次々と変わっていった。文禄4年(1595年)の絵図には揖保川と鶏籠山の間を流れる半田用水に沿って家屋が連なる様子が見られ、この頃には既に現在の町並みの骨格が形成されていたことが分かる。江戸時代に入り元和3年(1617年)に龍野藩が成立すると、龍野城は鶏籠山の山頂から南麓へと移された。周囲を山と揖斐川によって囲まれたわずかな平地に城下町が築かれ、西側の扇状地には武家町が、東から南にかけての低地には町人地として龍野五町が整備された。




明治後期から昭和にかけて商店街として栄えた「下川原」の町並み

 龍野城下における町人地の町並みは、龍野城南面の「大手」から南へと伸びる通りに沿って「立町」と「本町」が、その東側を南北に貫く通りに沿って「上川原」と「下川原」が続いており、これらを東西の路地が繋いでいる。寛政10年(1798年)の絵図と現在の町並みを比較しても、細かな路地にこそ変化はあるものの、主要な通りはおおむね変わっていない。宅地の間口も全体の半数以上が一致するなど、今もなお往時の町割りや地割が良好に維持されているといえる。なお、「本町」東側の揖斐川沿いに連なる「川原町」は、藩政時代は町人地ではなく武家屋敷が並んでいた。現在も敷地を塀で囲った屋敷型の家が多く、町家が並ぶ他の通りとは趣を異にしている。




武家町と町人地の接点にあたる「本町」には豪壮な商家が数多い

各家の間口は三間から三間半のものが多く、通りに面して建てられている主屋は切妻造りの平入を基本とする。江戸時代のものは立ちの低い厨子(つし)二階建ての本瓦葺き、明治になると桟瓦葺きが主流となり、明治中期以降のものは立ちの高い本二階建てとなる。古いものでは一階に出格子を構えたり、全面を引き戸をするものが多いが、大正時代以降になると腰壁を設けて格子窓とする形式が増えていった。二階は大壁を基本とし、虫籠窓(むしこまど)や出格子窓の他、金属格子を嵌めるものもある。主屋の平面は、表から裏へと抜ける通り土間に沿って、ミセ、ナカノマ、ザシキの三室を一列に並べるものが多く、間口の広い家では居室が二列六室になる。




木造洋風建築の好例である旧龍野醤油同業組合事務所

 龍野城の南面に広がる「大手」では、東西に通る路地に沿ってヒガシマル醤油の元本社およびその工場が建ち並んでいる。計6棟の工場は明治中期に築かれた白壁と縦板張りの伝統的な土蔵造り、旧本社は昭和7年(1932年)に築かれたモダンな洋風建築であり、その周囲に境内を構える4件の寺院と相まって重厚な雰囲気を漂わせている。また龍野城の南東端にあたる一角には大正2年(1913年)に龍野醤油同業組合が設置され、現在もその敷地には大正13年(1924年)に築かれた事務所と大正4年(1915年)に築かれた醸造工場が残っている。また「上川原」やその北側の「門の外」には現在も稼働している醤油工場があり、煉瓦造りの煙突や醤油蔵が歴史ある醸造町の風情を醸している。




半田用水に沿って連なるヒガシマル醤油の醤油蔵

 龍野における醤油の生産は16世紀後半に始まったと伝わっており、寛文6年(1666年)頃に従来の醤油よりも色が薄い淡口(うすくち)醤油の製造技術が確立した。寛文12年(1672年)に龍野藩へ入封した脇坂安政(わきさかやすまさ)は、他国に存在しない淡口醤油を「国産第一之品」として奨励し、醸造業の保護や育成に力を注いだという。元禄2年(1689年)の 円尾家文書『有物覚』には「すみ醤油」の品目が記されており、この頃より醤油が商品として生産されていたことが分かる。料理に色を付けず香りの良い淡口醤油は京や大坂で好まれ、18世紀中期以降は多くの醤油が上方へと出荷されていた。現在も龍野は淡口醤油発祥の地として知られ、淡口醤油では日本一のシェアを誇っている。

2020年08月訪問




【アクセス】

JR姫新線「本竜野駅」から徒歩約15分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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【参考文献】

・「月刊文化財」令和2年1月(676号)
たつの市龍野伝統的建造物群保存地区について|たつの市