萩市堀内地区

―萩市堀内地区―
はぎしほりうちちく

山口県萩市
重要伝統的建造物群保存地区 1976年選定 約77.4ヘクタール


 戦国時代、中国地方の覇者としてその名を轟かせていた毛利氏は、江戸時代に入ると山口県北部に位置する三角州、萩に居城を移転した。以降、明治維新目前の文久3年(1863年)に山口へ城が移されるまでの約260年間、萩は毛利氏の城下町として多大に栄え、4万人をも越す人口を抱えた一大都市へと成長する。今でも各所に往時の面影を色濃く残す萩市街のうち、かつての萩城三の丸、上級武士の屋敷が集められていた堀内地区においては、碁盤目状に形成された通りに沿って、どこまで連なる重厚な長屋門や土塀、およびそれらの上から顔をのぞかせる青々とした夏蜜柑の枝葉が相まって、極めて独特の風情を持つ、類稀なる武家町の光景を目にする事ができる。




萩城外堀にかかる、玄武岩製の平安橋(へいあんばし)
かつてはここに、萩城三の丸(堀内地区)に入る平安古(ひやこ)総門があった

 慶長5年(1600年)、天下分け目の関が原の戦いにおいて、西軍の総大将に擁立された毛利輝元(もうりてるもと)は、その戦いに勝利した東軍総大将の徳川家康によって大幅な減封を命ぜられ、八ヶ国あった所領を周防と長門の二ヶ国にまで減らされてしまう。輝元は長門の阿武川(あぶがわ)が作る三角州、その北西端より海に突き出た指月山(しづきやま)の袂に居城を定め、慶長9年(1604年)より萩城の築城を開始した。その縄張りは、指月山南麓に本丸を置き、本丸を囲うように内堀と中堀を切ってその間を二の丸とし、さらにその二の丸を三の丸で覆って陸の守りを固めていた。さらには指月山の頂上に詰丸を設けて海と陸を監視すると共に、有事の際の難場所ともした。




堀内地区南西に位置する鍵曲(かいまがり)

 萩城の三の丸には、家老や寄組(よりぐみ、長州藩の重臣)などといった上級武士の屋敷が集められ、その一帯は逆L字に掘られた外堀によって城下町と隔てられていた。三の丸への出入りは北総門、中総門、平安古総門の三ヶ所のみに限られており、またそれらの総門も、夜間は閉ざされ通行手形を持っていないと立ち入れなかったという。三の丸は碁盤目状に区画され、見通しが利かないよう、道を鍵の手状に折り曲げた鍵曲や、袋小路、T字路を所々に設けている。城の縄張りといい、防備といい、徳川が天下を取った後に築城された城にしては、萩城は非常に実戦を意識した作りとなっている。そこには、いつか再び徳川と刃を交えようという、毛利氏の意気が感じられる。




まるで城郭建築の櫓のような旧益田家物見矢倉

 重伝建に選定されている範囲は、かつての三の丸の大部分、およそ1キロメートル四方である。そこには、往時の町割がそのままに留められており、土塀や石垣、長屋門が連なる武家町の町並みが広がっている。しかしながら、藩政時代の武家屋敷がそっくりそのまま現存しているかといえば、そうではない。幕末の動乱期、毛利氏の居城が山口へ移された事で萩の武家町は荒れ、また明治に入ると、武士という職を失った士族たちは、食い扶持を得る為荒廃していた屋敷を取り壊し、その土地を夏蜜柑の栽培に転用したのだ。その結果、現在堀内地区に残る古い建造物は、塀や門といった敷地の区画に関わるものが主であり、武家屋敷の家屋自体はそれほど多く現存していない。




珍しく武家屋敷の主屋が残る、口羽家(くちばけ)住宅

 そのような堀内地区の武家屋敷において、藩政時代の門と主屋がセットで残る稀少な例として口羽家住宅がある。口羽家は1018石もの石高を取っていた寄組士の家であり、その敷地は堀内地区の南西部に位置する鍵曲のすぐ側、橋本川に面した一等地に存在する。そこには、18世紀後半に建てられた長屋門の表門と、19世紀始め頃に建てられた主屋が現存しており、二棟併せて重要文化財の指定を受けている。有力藩士の家らしく、特に警備を重視した作りとなっており、表門の片潜門の傍らには門番所が置かれていた。また、主屋の座敷と奥座敷の間には、わずか二畳の「相の間」が設けられているが、そこは家主の警護の為に家臣が隠れ潜んだ、いわゆる武者隠しである。




口羽家の敷地から見る橋本川と常盤(ときわ)島

 口羽家とは逆の位置、堀内地区の北東端には、旧益田家の物見矢倉が建っている。これは長屋門でありながら、北の総門から入ってくる者を見張る為にも用いられた建造物であり、その外観はまさしく城郭の要所に置かれる櫓のようだ。この旧益田家物見矢倉が建つ北の総門通りには、他にも旧繁沢(はんざわ)家の長屋門など、立派な構えの長屋門が数多い。また、堀内地区の西を流れる橋本川の流れの中には、常盤島と呼ばれる松の生い茂った小島がある。かつてその手間には、藩主の別邸であった川手御殿(花江御殿)が存在していたという。この常盤島は、川の対岸から御殿の内部が伺えないように、目隠しとして人工的に築かれた島なのだ。

2010年10月訪問




【アクセス】

JR山陰本線「東萩駅」などからレンタサイクルで。

「萩バスセンター」より萩循環まぁーるバス「西回り」で約10分、
「萩博物館前バス停」下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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