津山市城東

―津山市城東―
つやましじょうとう

岡山県津山市
重要伝統的建造物群保存地区 2013年選定 約8.1ヘクタール


 岡山県の北東部に広がる津山盆地は山陽と山陰を結ぶ交通の要衝に位置しており、国府や国分寺が置かれるなど古代より美作地方の中心地として栄えてきた。江戸時代に入ると盆地中央部の鶴山に津山城が築かれ、以降は津山藩のお膝元として発展していく。かつての城下町のうち宮川の東側にあたる城東地区には、旧出雲往来に沿って橋本町、林田(はいだ)町、勝間田(かつまだ)町、中之町、西新町、東新町とかつての町人地が続いている。これらの各町には江戸時代中期から昭和初期にかけて築かれた町家が建ち並んでおり、今もなお城下町時代の風情を色濃く残していることから、東西約1050メートル、南北約480メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




昔ながらの町家が多く残る、勝間田町の町並み

 江戸時代初頭の慶長8年(1603年)、森蘭丸こと森成利(もりなりとし)の弟にあたる森忠政(もりただまさ)が美作国に入封した。忠政はそれまで鶴山と呼ばれていた地名を津山と改め、室町時代に守護大名の山名氏が築いた鶴山城の跡地に津山城を築城した。津山城は南側に吉井川が流れ、東側は宮川、西側は藺田川(いだがわ)によって囲まれた天然の要害に位置している。忠政はそれらの河川を外掘とし、また鶴山の周囲には内堀を巡らし、堅固な近世城郭を完成させた。同時に城下町が整備され、城下町の北半分と吉井川沿いに武家地を置き、城下を東西に横断する出雲往来沿いを町人地とし、東端と西端には寺町を配して城下町の防備を固めた。




重要文化財に指定されている旧苅田家住宅の脇路地

 旧出雲往来沿いに連続する町人地の中でも、城東地区は特に昔ながらの町家が多く残る地域である。津山城の築城当初は橋本町から勝間田町までであったが、その後に東へと拡張されており、寛永3年(1628年)には東新町までが城下町の範囲に含まれるようになった。これら町人地の北側には武家町の上之町が置かれ、さらにその北の山裾には寺町が広がっている。宮川を渡ったすぐの橋本町、および中程にある中之町、東端に位置する東新町の三ヶ所には、通りの見通しが利かないよう道をクランク状に曲げた枡形が設けられ、各枡形付近には関貫(かんぬき)と呼ばれる木戸門も置かれていた。現在、関貫は取り払われたものの、枡形はいずれも曲がり角として残っている。




苗字帯刀を許されていた豪商、旧梶村家の庭園

 各家の敷地は旧出雲往来に沿って短冊状に割られており、現在もほとんどの家が城下町時代の地割を踏襲している。間口の規模は二間から四間が一般的だが、中には十間を越える大規模な商家も存在する。奥行きは17間でほぼ統一されているが、南に吉井川が迫る中之町や西新町ではやや浅い。主屋の形式は切妻造の平入が基本であり、二階部分の建ちが低い厨子二階建のものが多い。一階部分の表構えは出格子を嵌め、下部を簓子(ささらこ)下見板張りとするのが一般的であるが、古くは入口を大戸として蔀戸(しとみど)を吊っていた。二階部分は虫籠窓(むしこまど)、あるいは一階部分と同様に出格子を嵌める。防火を意識した袖壁を備え、意匠に海鼠(なまこ)壁を用いている家も多い。




東新町の枡形付近には屋根に煙出しを備えた鍛冶屋が多い

 城東地区は伝統的な建造物の密度が高く、歴史あるたたずまいの町並み景観を形成している。その中でも特に勝間田町は古い町家が多く、宝暦2年(1752年)に築かれた主屋を持つ旧苅田家住宅(重要文化財)や、大正7年(1918年)に築かれた旧河野医院など、立派な構えの家屋が散見される。また東新町の界隈には鍛冶屋であった家が多く、切妻の小屋根が乗る煙出しを備えた町家を目にすることができる。かつて津山には26軒の鍛冶屋が存在したというが、現在は「本家忠兵衛鎌製造元」と「忠兵衛鎌製作所」の2軒のみであり、包丁や鎌などを作成している。津山で作られる鎌は作州鎌として著名であり、優れた切味と耐久力を持つ良品として西日本を中心に流通していた。




他の町家と共に並ぶ、箕作阮甫の旧宅

 また西新町には幕末に活躍した蘭学者である箕作阮甫(みつくりげんぽ)が13歳の時まで過ごした旧宅が残されている。阮甫は藩医として藩主に同行して江戸へと赴き、同じく津山藩医であった蘭学者、宇田川玄真(うだがわげんしん)の元で蘭学を学んでいる。その後に幕府天文台の翻訳員となり、嘉永6年(1853年)にアメリカ合衆国使節のマシュー・ペリーが来航した際には米大統領国書の翻訳にあたり、また同年、ロシア使節のエフィム・プチャーチンが来航した時には長崎へと赴き外交書簡の翻訳にあたり、その後の文久2年(1862年)には幕臣に取り立てられた。阮甫の著訳書は幕末における蘭学の発展に寄与するなど残した功績は大きく、その旧宅は国の史跡に指定されている。

2009年05月訪問
2021年08月再訪問




【アクセス】

・JR姫新線「津山駅」より徒歩約20分。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【関連記事】

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【参考文献】

・「月刊文化財」平成25年7月(598号)
城東地区が重要伝統的建造物群保存地区に選定されました|津山市
津山市城東|国指定文化財等データベース
旧苅田家住宅(岡山県津山市勝間田町)|国指定文化財等データベース
箕作阮甫旧宅|国指定文化財等データベース