津山市城西

―津山市城西―
つやましじょうさい

岡山県津山市
重要伝統的建造物群保存地区 2021年選定 約12.0ヘクタール


 岡山県の北東部、津山盆地の中央部に位置する津山市は、江戸時代の初頭に築かれた津山城を中心とするかつての城下町である。その町場は東西に流れる吉井川の北岸に築かれており、主に津山城の周囲に広がる「城下(しろした)地区」、宮川より東の「城東地区」、藺田(いだ)川より西の「城西地区」の三地区に大別されている。そのうち「城西地区」には旧出雲往来に沿って坪井町、宮脇町、西今町から成る商家町が連なっており、また城下町の西端には西寺町が広がっている。城下町時代に成立した寺町の町並みおよび近世から近代にかけて発展した商家町の町並みを今に残すことから、東西約840メートル、南北約480メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




津山藩主であった森家の菩提寺である本源寺
本堂・庫裏・中門・霊屋・霊屋表門の5棟が重要文化財に指定されている

 津山盆地は山陽と山陰を結ぶ交通の要衝に位置しており、古代より美作地方の中心地として栄えてきた。慶長8年(1603年)には津山藩の初代藩主となった森忠政(もりただまさ)が鶴山(つるやま)に居城を構え、その際に地名を津山へと改めて城下町を整備した。津山城の南側を通る出雲往来沿いを町人地とし、城下町の北半分と吉井川沿いに武家町を配している。城下町の東端と西端には寺町が置かれたが、城東地区では出雲往来の北側に続く山裾に寺院を並べ、城西地区では町人地の外側に寺院を密集させるなど立地に違いがある。森家はその後の元禄10年(1697年)に断絶するが、代わりに結城秀康(ゆうきひでやす)を祖とする越前松平家が移り、そのまま明治維新を迎えることとなった。




大正15年(1926年)に鉄筋コンクリートで築かれた翁橋(国登録有形文化財)
近年の調査により、貴重な煉瓦舗装の橋であることが判明した

 近代に入ると明治31年(1898年)に中国鉄道(現在のJR津山線)が開通し、旧城下町の南西に位置する津山駅(現在の津山口駅)が新たな津山の玄関となった。より駅に近い城西地区は商業地として発展したものの、大正12年(1923年)に鉄道が延伸して現在の津山駅が開業すると、商業の中心地は城下地区へと移っていった。城西地区では賑わいを維持すべく、大正末期から昭和初期にかけて藺田川に架かる「翁橋」を架け替え、坪井町にアーケードを設置し(平成15年に撤去)、西今町では車社会を見据えて軒切りを行ない道幅を広げたものの、商業地としての衰退を食い止めることはできず、結果的に城西地区では建物が大きく更新されることなく近世から近代の伝統建築が残ることとなった。




通りに沿って門と塀が連なる寺町の光景

 城西地区の西側に広がる寺町は現在も城下町時代の地割をよく残しており、築城時から正保元年(1644年)にまで存在した15箇寺のうち13箇寺が残っている。各寺院はいずれも境内を塀で囲んでおり、路地に面して楼門や薬医門を構える。本堂を南面あるいは東面して建て、向かって右側に庫裏を接続する形式のところが多く、その周囲には鐘楼や各種堂宇を配している。本堂は17世紀前期から近代にまで至る各時代・各宗派のものがよく残っており、間口は三間または五間、屋根は本瓦葺で入母屋造の平入が多い。津山藩主であった森家の菩提寺である本源寺、および松平家の菩提寺である泰安寺には歴代藩主を祀る霊屋が祀られているなど、伽藍全体として江戸時代の様相を今に残している。




出雲往来沿いの今西町には重厚な町家が建ち並ぶ

 城西地区に連なる商家町のうち、坪井町は城下町が整備された当初からの町人地であるが、宮脇町は武家地だった区画を明暦元年(1655年)に町人地へと改めたものであり、また今西町は寛文年間(1661〜1673年)に新設された町場である。いずれも旧出雲往来に面して短冊形の地割が続いており、間口は四間から五間のものが多いが、各町の成立過程が違うことから奥行きは町ごとに差異がある。各家は通りに面して間口いっぱいに主屋を建て、その背後に中庭を隔てて離れや土蔵などの附属屋を配している。主屋は江戸時代後期から昭和30年代までのものが多く、屋根は桟瓦葺で切妻造の平入が多い。厨子二階建ても見られるが基本は本二階建てであり、正面には庇や下屋を設けている。




現在は「作州民芸館」として活用されている「旧土居銀行津山支店」
城西地区のシンボル的な存在であり、国の有形文化財に登録されている

 宮脇町の南側には城下町の総鎮守として建立された徳守(とくもり)神社が鎮座している。現在の社殿は寛文4年(1664年)に再建されたもので、本殿は梁間三間、桁行三間、入母屋造の妻入に向唐破風造の向拝を付した「中山造」と呼ばれる形式で、地域的な特徴を見せている。本殿・拝殿・釣殿がセットで現存している点でも貴重な神社建築だ。また今西町には明治42年(1909年)に築かれた旧土居銀行津山支店が威厳ある佇まいを見せており、現在は「作州民芸館」として城西地区のシンボルとなっている。木造でありながらルネサンス様式を基調とする石造風の外観であり、すぐ近くに位置する「翁橋」と共に、近代における城西地区の繁栄を今に伝えている。

2021年08月訪問




【アクセス】

・JR姫新線「津山駅」から徒歩約15分。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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津山市城東(重要伝統的建造物群保存地区)

【参考文献】

・「月刊文化財」令和3年1月(687号)
津山市城西伝統的建造物群保存地区保存活用計画を策定しました|津山市
津山市城西|国指定文化財等データベース
本源寺|国指定文化財等データベース
翁橋|国指定文化財等データベース
作州民芸館(旧土居銀行津山支店)|国指定文化財等データベース