丹波篠山市福住

―丹波篠山市福住―
たんばささやましふくすみ

兵庫県丹波篠山市
重要伝統的建造物群保存地区 2012年選定 約25.2ヘクタール


 兵庫県中東部の山間に広がる篠山盆地は、京都と山陰・山陽を結ぶ街道が通ることから古くより交通の要衝として重視されてきた。江戸時代の初頭にはいまだ大きな力を有していた大坂の豊臣氏や西国大名への抑えとして篠山盆地のほぼ中央に篠山城が築かれ、現在も城跡を中心に城下町の風情を目にすることができる。その篠山城下から東へ12キロメートルほどのところに位置する「福住」は、西京街道の宿場として発展した歴史を持つ町だ。また福住の東に連なる「川原」「安口(はだかす)」「西野々」は街道沿いの農村集落として福住と共に歴史的風致を今に伝えることから、これら四集落を含む東西約3260メートル、南北約460メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




西京街道の宿場町であった「福住」には妻入の商家が密に並ぶ

 戦国時代の篠山盆地は八上(やかみ)城を本拠とする波多野(はたの)氏が治めており、福住では波多野氏の被官であった籾井(もみい)氏が籾井城を築いて居城としていた。その後、織田信長の命により丹波の平定に取り掛かった明智光秀が天正6年(1578年)に篠山盆地へと侵攻し、翌年に八上城が落城して波多野氏は滅亡した。江戸時代になると松平康重が入り、慶長14年(1609年)には徳川家康の命によって八上城を廃し、いわゆる天下普請により篠山城が築かれた。「福住」「川原」「安口」「西野々」の四集落はその頃には既に存在していたことが確認できる。しかし福住と川原は篠山藩領であったのに対し、安口と西野々は亀山藩領に編入されたため、安口には関所が設けられていた。




桟瓦葺と茅葺(現在は鉄板葺)の家屋が混在する「川原」の町並み

 西京街道は篠山川の支流である籾井川の河岸段丘を東西に通っており、四集落はその道筋に沿って続いている。そのうち「福住」は西京街道・能勢街道・綾部街道の結節点に位置することから宿場町として整備され、本陣や脇本陣が置かれていた。「川原」「安口」「西野々」は宿場の外ではあるものの、農業と兼業で旅籠や茶店を営む家もあり、宿場の機能を補完する農村集落であったと考えられている。明治に入り宿駅制度が廃止されてからも依然として栄えていたが、明治中期に京都鉄道(現在のJR山陰本線)と阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)が開通すると交通量が激減して宿場としての機能は失われた。一方で四集落は近代化の影響をあまり受けることなく、昔ながらの町並みが残ることとなった。




「安口」の東部からは農村的な様相がさらに濃くなる

 「福住」では西京街道に面して主屋が連続して建ち並んでおり、短冊形に割られた敷地の奥に離れや土蔵、納屋などを配している家が多い。間口は五間半から六間、奥行は六間から七間半で、規模においてそれほど差はなく、篠山城下の商家町と比べると間口が大きいという特徴がある。「川原」「安口」「西野々」も基本的には街道に沿って家屋が並んでいるものの、福住ほど密に建ってはいない。主屋は街道からやや奥まって建てられてることもあり、主屋に隣接する二階建の農作業小屋や、主屋と街道の間に中門付きの庭を構えることもある。間口は四間半から六間半、奥行が五間から八間半のものが見られるが、その多くは間口は五間から六間、奥行が五間から七間半の範囲に収まっている。




保存地区の東端に位置する「西野々」の町並み
街道からやや奥まって主屋を建て、庭園を持つ家も見られる

 主屋は厨子二階建の桟瓦葺、もしくは平屋建ての茅葺(現在は鉄板葺)である。特に福住の西京街道沿いでは桟瓦葺のものがほとんどで、それ以外では桟瓦葺と茅葺が混在する。いずれも妻入が多いが、少ないながら平入も見受けられる。桟瓦葺の主屋は正面側が半切妻造もしくは入母屋造で下屋が付き、背面側は切妻造とする家が多い。外壁は大壁造の白漆喰塗仕上げ、もしくは灰中塗仕上げとし、側壁に羽目板張の腰板を持つ例が目立つ。表構えは一階の軒下部分に格子を構え、二階の妻面には一文字の庇を設け、その下に虫籠窓を開くものが多い。茅葺の主屋は入母屋造であり、外壁は真壁造で腰壁を羽目板張りとし、表構えは格子を構え、四方に桟瓦葺きの下屋を回す場合が多い。




住吉神社の書院北側に広がる「住之江の庭」
昭和を代表する作庭家・重森三玲が昭和41年(1966年)に築いた枯山水庭園である

 主屋の間取は片側に土間を通し、座敷部分は奥行方向に三室が二列並ぶ二列六間取を基本とする。土間は京都側(東側)に置き、床の間は篠山城側(西側)に置くといった、篠山城を意識した間取だと考えられるのが特徴的だ。また社寺建築としては川原の西端に住吉神社が鎮座しており、19世紀中期の本殿を中心として社殿群と社叢が一体となった鎮守の景色を良く残す。住吉神社では毎年7月に水無月祭が行われ、福住と川原には祭礼の際に曳く山車を格納する山車蔵も存在する。他にも保存地区内の街道沿いには一里塚や道標、常夜灯篭などの歴史的な工作物も多く残るなど、一つの街道に沿って宿場町と農村集落という二種類の歴史的景観が連続するという、全国的にも稀有な町並みとなっている。

2022年12月訪問




【アクセス】

<福住>
・JR福知山線「篠山口駅」よりウイング神姫バス「福住行き」で約50分、「福住バス停」下車すぐ。
・神姫バス「篠山営業所」よりウイング神姫バス「奥原山行き」で約25分、「福住バス停」下車すぐ。

<川原・安口・西野々>
・神姫バス「篠山営業所」よりウイング神姫バス「奥原山行き」で約30〜35分、「福住川原バス停」「安口バス停」「丹波西野々バス停」下車すぐ。

*いずれも本数が少ないため要時刻確認。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【参考文献】

・「月刊文化財」平成24年12月(591号)
福住伝統的建造物群保存地区保存計画/丹波篠山市
丹波篠山市福住|国指定文化財等データベース

【関連記事】

丹波篠山市篠山(重要伝統的建造物群保存地区)