佐渡市小木町

―佐渡市小木町―
さどしおぎまち

新潟県佐渡市
重要伝統的建造物群保存地区 2024年選定 約13.3ヘクタール


 佐渡島の南端部、小木半島の東側に位置する小木町は、江戸時代の初頭に佐渡で産出された金銀の積出港として整備され、江戸時代中期以降は北前船の寄港地として栄えた港町である。日本海に突き出た城山の西側に「内の澗(うちのま)」、東側に「外の澗(そとのま)」と呼ばれる入り江が形成されており、海岸線に沿って緩やかに湾曲する通りに昔ながらの町家が建ち並んでいる。海運業で賑わった港町の歴史的風致を良く留めていることから、小木町のうち「内の澗」に面した本町通りと浜町通り、およびその背後の山裾に境内を構える寺院群、町並みの両端に鎮座する神社を含む、東西約700メートル、南北約450メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。




大久保長安の寄進により慶長14年(1609年)に建立された木崎神社
現存する本殿は元禄8年(1695年)、拝殿は明治25年(1892年)の建造である

 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを制した徳川家康は、全国の金銀山を手中に収めて財政基盤を強化した。慶長8年(1603年)には大久保長安(おおくぼながやす)が佐渡代官(後に佐渡奉行)に任命され、その家臣である原宗勇(はらそうゆう)が小木から西三川(にしみかわ)までの村々の支配にあたり、小木港を管理した。慶長19年(1614年)に小木町は渡海場に定められ、翌年の元和元年(1615年)からの町立てにより内の澗の海岸線に沿って現在の本町通りが開かれた。その後、対岸の出雲崎が幕府の直轄領になったことで小木港は寛永8年(1631年)に金銀の積出港に定められ、相川で産出された金銀は小木港から出雲崎港へと渡り、北国街道と中山道を経て江戸へと運ばれていった。




高台に位置する「照覚寺」の門前から町並みを望む
左奥に見えるのが「内の澗」と「外の澗」を隔てる城山だ

 寛文12年(1672年)に大坂から瀬戸内海と日本海を経由して東北方面へと至る西廻航路が開拓されると、小木港はその寄港地となり、以降は北前船で賑わうようになる。江戸時代後期の享和2年(1802年)には小木沖を震源とする地震が発生し、小木周辺の土地が1メートルほど隆起、海岸線が40メートルあまり後退したため町場の近くに船を繋留できなくなった。その対処として「三味線堀」が開削されたものの、土砂の流入によって次第に掘割として機能しなくなり、三味線堀は埋め立てられその跡地に浜町が開かれた。明治時代に入ると夷港(現在の両津港)が開港し、また明治中期以降は廻船業が衰退したこともあって、佐渡における主要港としての機能は夷港へと移っていった。




緩やかに湾曲する通りに沿って平入の町家が連なる「本町通り」の町並み

 小木町の町並み保存地区は主に「本町通り」と「浜町通り」から構成されている。そのうち「本町通り」は江戸時代初頭の海岸線沿いにあたり、町立ての当初は西半が中心で、船の大型化による外の澗の利用増加にともない東へと拡大していった。寛文11年(1671年)には内の澗と外の澗の間に「汐通しの堀切」と呼ばれる堀が開削されており、この頃には外の澗も港として利用されていたことが分かる。「浜町通り」は小木地震による隆起後の海岸線沿いにあたり、三味線堀の跡地に形成された浜町の地割が現在も明確に引き継がれている。幕末から明治初期にかけては浜町の東西や外の澗沿いなどが宅地化され、戦後には海岸の埋め立てが進み、現在に見られる小木町の姿が形成された。




小木地震による隆起後、三味線掘の跡地に開かれた「浜町通り」の町並み

 小木町は明治37年(1904年)の大火によって町場の大部分が焼失する被害があり、故に現存する町家は明治末期から昭和30年頃にかけて築かれたものが大半であるが、町の西側や海側には明治中期以前の建物もわずかに残っている。また山裾に位置する寺院群はいずれも大火を免れており、江戸時代に建立された堂宇が密度高く残っている。各家の間口は三間半前後が一般的であり、奥行きは十間ほどである。通りが湾曲しているため、正面側と奥側とで間口の規模が異なる台形の敷地であることが多い。通りに面して間口いっぱいに主屋を建て、その背面の片側に角屋を付し、もう一方の片側に小規模な中庭を設け、そのさらに背後に離れや納屋、土蔵が続いている。




座敷の空間を広く取るべく二階部分を前面に張り出す主屋

 主屋は二階建てであり、屋根は桟瓦葺き切妻造の平入を基本とするが、浜町通りでは妻入のものも混在している。主屋の平面は一列型と二列型のものがあり、一列型は通り土間に面してミセ、吹き抜けのオイエ(居室)、ダイドコロ、ヘヤを並べ、二列型は正面側のミセを一部屋とし、その奥の下手にオイエ、上手にブツマ、さらにその奥にダイドコロとヘヤを並べるのが一般的である。二階はオイエの吹き抜けを挟んで正面側をオモテニカイ、背面側をウラニカイとする。特に小木町ではオモテニカイを座敷として利用しており、できるだけ広い接客空間を確保すべく、二階を通り側に張り出し、室内側もオイエの上部に張り出す独自の架構に地域的な特徴が見られる。

2023年10月訪問




【アクセス】

・直江津港から小木港まで佐渡汽船カーフェリー(冬季運休)で約2時間40分、小木港から徒歩約5分。
・両津港から新潟交通佐渡バス「南線」で約40分、「真野新町」バス停下車、新潟交通佐渡バス「小木線」に乗り換えて約50分、「小木」バス停下車、徒歩約3分。

【拝観情報】

・町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【参考文献】

・「月刊文化財」令和6年9月(732号)
佐渡市小木町伝統的建造物群保存対策調査報告書|佐渡市

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