別府の湯けむり・温泉地景観

―別府の湯けむり・温泉地景観―
べっぷのゆけむり・おんせんちけいかん
重要文化的景観 2012年選定

大分県別府市


 大分県、標高1375メートルの鶴見岳をはじめとした火山帯の東麓に広がる別府市は、2300以上もの源泉を有する日本最大の温泉都市である。特に古くからの歴史を有する八箇所の温泉地は「別府八湯(はっとう)」と称され、湯治場として発展してきた。そのうち「鉄輪(かんなわ)温泉」は鎌倉時代に時宗の開祖である一遍上人が開いたとされ、源泉数、湧出量ともに最大の規模を誇る別府の中心的な温泉地であり、随所から立ち昇る湯けむりは別府の代名詞ともなっている。また伽藍岳の中腹、標高約400メートルの高所に位置する「明礬(みょうばん)温泉」は、江戸時代より温泉を利用した明礬の生産が行われており、藁葺の「湯の花小屋」が並ぶ独特の景観を作り出している。




湯治旅館が建ち並ぶ鉄輪銀座通り

 別府の温泉は古代より知られていたが、当時は鶴見岳の噴火活動によって荒れており、湯治場として利用されるようになるのは中世に入ってからのことである。近世後期までは自然湧出泉を利用し、農閑期を中心に周辺地域から湯治客が訪れていたが、近代に入ると「上総掘り」と呼ばれる鑿井技術によって源泉数が増加し、また明治4年(1871年)に別府港が開かれたことによって関西や瀬戸内からの観光客が急増。一大温泉都市として発展した。明治末期から大正時代にかけては亀の井旅館の油屋熊八(あぶらやくまはち)が別府のプロモーションを図り、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」のキャッチフレーズや別府のシンボルとして温泉マークを用い、全国に別府の名が轟いた。




路地横に備えられた「地獄蒸し」の蒸気釜戸

 明治時代に源泉数が急増したことで、鉄輪温泉には数多くの湯けむりが立ち昇るようになった、高浜虚子(たかはまきょし)や与謝野晶子(よさのあきこ)など文人の作品にも、別府の湯けむりは数多く描写されている。また汲み上げた温泉水から水蒸気を分離する気液分離装置が昭和30年代に普及すると、湯けむりは煙突からさらに高く昇るようになった。温泉の利用は温泉宿のみならず、地域の人々が利用する共同浴場も数多い。また温泉の蒸気を利用して調理を行う「地獄蒸し」は江戸時代の「鶴見七湯廼記」にも描かれており、温泉の噴気は床下暖房などとしても利用されている。ぬるい温泉は洗濯に使われ、飲用にも用いられているなど、温泉は人々の生活に大きく関わってきた。




石組から湯けむりが噴き出す「白池地獄」

 鉄輪温泉に湧き出る源泉は実に多種多様であり、含有物質の違いによって様々な色合いを見せる。特に珍しいものは地獄と呼ばれ、別府の観光名所として親しまれてきた。鉄輪温泉に数ある地獄の中でも、水中に浮遊する粘土鉱物に光が散乱してコバルトブルーの色合いを見せる「海地獄」、噴出時は透明だが外気に当たって冷えるとメタ珪酸が析出して白濁する「白池地獄」、および鉄輪温泉から3キロメートルほど北に位置する柴石温泉の間欠泉「龍巻地獄」、酸化鉄によって朱色に染まる「血の池地獄」の計四箇所は「別府の地獄」として国の名勝に指定されている。特に「血の池地獄」は古くより知られ、8世紀に編纂された「豊後国風土記」にも「赤湯の泉」として記されている。




明礬温泉には伝統的な「湯の花小屋」が建ち並ぶ
かつて作られていた明礬は、染物を鮮やかにする媒染剤などに使われた

 明礬温泉ではその名の通り明礬の生産が行われていた。始まりは寛文4年(1664年)、肥後国八代出身の浪人、渡辺五郎右衛門(わたなべごろうえもん)が別府で明礬の製造を試みたことによる。最初は失敗に終わったが、後に奉公した長崎の薬種問屋で中国人から明礬製造のコツを聞き、再度別府で試したところ成功したという。しかし輸入品の唐明礬に押されて資金難に陥り、結局は頓挫した。その後の享保10年(1725年)、小浦村(現日出町平道)の庄屋、脇屋儀助(わきやよしすけ)が明礬の製造を再開した。儀助は灰汁の調合を独自に編み出し、唐明礬に劣らない和明礬の生産に成功したのである。現在も明礬温泉の周囲には、灰汁を採るために植えたハイノキ(灰の木)が残るという。




現在は明礬の製造技術を用いて、湯の花(入浴剤)を作っている

 現在も明礬温泉では、儀助の子孫にあたる脇屋家などが明礬の製造技術を用いて湯の花の製造を行っている。温泉の地熱地帯に栗石の石畳を敷き、その上に青粘土を敷き詰め、「湯の花小屋」と呼ばれる藁葺小屋を建てる。すると栗石の隙間から硫化ガスが入り込み、ガスに含まれる成分と青粘土の成分が結合して結晶化するのだ。この結晶は1日約1ミリずつ成長し、40日〜60日で採取されるという。完成した湯の花には硫黄を始めとする温泉成分が含まれており、主に入浴剤として用いられている。このような湯の花の製造技術は全国でも他に類を見ないものであり、平成18年(2006年)には「別府明礬温泉の湯の花製造技術」として国の重要無形民俗文化財に指定された。

2014年09月訪問




【アクセス】

<鉄輪温泉>
JR日豊本線「別府駅」より亀の井バス「立命館アジア太平洋大学(APU)行き」で約15分、「鉄輪バス停」下車すぐ。

<明礬温泉>
JR日豊本線「別府駅」より亀の井バス「立命館アジア太平洋大学(APU)行き」で約30分、「明礬バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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