―大田市温泉津―
おおだしゆのつ
島根県大田市 重要伝統的建造物群保存地区 2004年選定 約36.6ヘクタール 温泉津(ゆのつ)は昔からその優れた薬効で知られる温泉街である。大正から昭和初期にかけての温泉宿や町屋が残り、今でも数多くの温泉客で賑わっている温泉津は、温泉街として初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定された。 温泉津の町並みの最たるところは、そのレトロな香りに他ならない。和建築と洋風建築が混在し、まさに昭和の温泉街といった風情を見せるその光景は、江戸時代や明治時代の伝統的建築物で整えられている重伝建には無い魅力がある。 温泉津の歴史は非常に古く、一説には平安時代にまで遡る。かつてこの地を訪れた僧侶が、傷ついたタヌキがこの地に湧いたお湯に浸かって傷を癒していたのを目撃し、その薬効を知ったのが温泉津温泉の始まりであるとされる。伝説の類は別にしても、少なくとも中世末期から温泉津の温泉が知られていたことは、温泉津のニ源泉の一つ「元湯」を所有してきた伊藤家の文献により判明している。 温泉津の港から少し入ったところに、温泉津最大の屋敷がある。これはかつて、もう一つの源泉「藤乃湯」を所有していた内藤家の庄屋屋敷である。建築年は不明だが、塗龍造の土蔵造りであったり、横壁がなまこ壁にされていたりと防火対策見られることから、延享4年(1747年)の大火後に建てられたものであることが分かる。厨子二階の虫籠窓や一階の出格子、吹き抜けの土間などは江戸時代後期の商家の特徴だ。 温泉津の町並みは、リアス式海岸が作る湾入部の港から、谷筋に沿って伸びる道沿い作られている。この道はかつて世界に流通する銀の3分の1を産出していた石見銀山まで延びている銀山街道だ。この銀山街道を利用して銀山から運搬されてきた銀は、温泉津の沖泊(おきどまり)や鞆ヶ浦(ともがうら)などの港湾から各地へ搬出されていった。温泉津は温泉街であると共に港町としても発展してきたのだ。 かつて銀の搬出が行われた沖泊、湾の奥から見て右側の山には櫛山城跡、左側の山には鵜の丸城跡が残されている。鵜の丸城は石見銀山を手にした毛利氏が船の出入りを監視するため建てたものである。なお、沖泊の岩場には、船を係留する縄を結ぶため穴を空けた鼻ぐり岩を見ることができる。沖泊もまた、温泉津の町並みと共に貴重な文化的遺産である。 2006年08月訪問
【アクセス】
JR山陰本線「温泉津駅」より徒歩約15分。 【拝観情報】
町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 ・大田市大森銀山(重要伝統的建造物群保存地区) ・石見銀山遺跡とその文化的景観(世界遺産) ・別府の湯けむり・温泉地景観(重要文化的景観) Tweet |