阿蘇の文化的景観 阿蘇北外輪山及び中央火口丘群の草原景観

―阿蘇の文化的景観 阿蘇北外輪山及び中央火口丘群の草原景観―
あそのぶんかてきけいかん あそきたがいりんざんおよびちゅうおうかこうきゅうぐんのそうげんけいかん

熊本県阿蘇市
重要文化的景観 2017年選定


 九州内陸部のほぼ中央に位置する阿蘇山は、東西約18キロメートル、南北約25キロメートルのカルデラ地形を有する日本有数の活火山だ。その中心には約27万年前から約9万年前に起きた計4回の噴火によって形成された中央火口丘がそびえ、カルデラ床は火山灰が厚く堆積した水はけの悪い湿地性の平地であり、その周囲には外輪山の台地が広がっている。カルデラ床の北半分にあたる阿蘇谷では、昔から平地を居住地と耕作地、斜面を林地、中央火口丘および外輪山上を草地として利用してきた歴史を持つ。その中でも北外輪山には阿蘇地方における典型的な草地の景観が広がっていることから、北外輪山および中央火口丘の草原、約10821.6ヘクタールが国の重要文化的景観に選定されている。




北外輪山の一峰である「大観峰」
かつては「遠見ヶ鼻」と呼ばれ、水田が広がる阿蘇谷を一望できる

 かつて阿蘇谷は火山湖であったことが地質学的に判明しているが、その事実は神話としても語り継がれており、神武天皇の孫であり阿蘇を開拓した神である「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」が外輪山の西部を蹴り崩し、水が流れて陸地になったと伝わっている。また阿蘇谷は雨量が豊富な地域であり、山体に浸透した地下水が段丘崖や岩盤の割れ目などから湧き出している。湖沼や湿地も多く、水田を営むのに好条件の土地であるものの、稲作を行うためには火山灰による酸性土壌を改良する必要があった。そこで人々は山上に広がる草原で採取した草や、草原で放牧している牛馬の堆肥を土にすき込むことで、長い年月をかけて「阿蘇の千枚田」と称されるほどの田園地帯に変えていった。




阿蘇外輪山の上部には広大な草地が、斜面には林地が広がっている

 広大な平地が広がる阿蘇谷は阿蘇地方の中心的な役割を担ってきた地域であり、健磐龍命を主祭神として祀る阿蘇神社が鎮座している。農業神の信仰と阿蘇山の火山信仰が融合した歴史を持つ神社であり、現在も御田祭、田作祭、田の実神事など年間を通じた農耕神事が継承されている。草地の利用に関しては、平安時代の中期に編纂された『延喜式』に肥後国の官牧として「二重馬牧(ふたえのうまのまき)」と「波良馬牧(はらのうまのまき)」の記述が見られる。阿蘇地方の草原は少なくとも1000年以上前から牛馬の放牧や飼料用の草を採る場、耕作地に施すための草肥や堆肥、家屋の屋根を葺く素材や生活用具の材料を得る場として継続的に利用されてきたことがうかがえる。




放牧地の急斜面には等高線に沿って「牛道」が見られる
垂直方向に移動ができない牛が、草を食みながら水平に歩いた道筋だ

 中世まで阿蘇地方は阿蘇神社の社領であり、宮司職を世襲する阿蘇氏は肥後国に影響を及ぼす大豪族となった。山上の草地や林地は神に捧げるための鳥獣を捕獲する狩場、社殿を造営するための木材の供給地として広く神社の所有とされていた。近世には熊本藩に属し、草地は複数の集落による入会地として利用され、山林は藩有地として水源涵養や境界設定などを目的に造林事業も行なわれた。熊本城下から阿蘇谷を横断して豊後国鶴崎へと至る「旧豊後街道」も整備されており、そのうち西外輪山から阿蘇谷へと下りる「二重峠(ふたえのとうげ)」と東外輪山へ上がる「滝室坂」には現在も石畳が残り、旧街道の風情を残す「狩尾地区」および「的石御茶屋跡」と共に国の史跡に指定されている。




北外輪山の西側に広がっている、あか牛の放牧場

 近代に入ると土地所有者の明確化が求められるようになり、草原は複数の集落による共同管理から各集落ごとの管理となった。土塁などによる区画が行われ、管理組合が組織されるなど、現在に通じる土地の利用方法が確立された。道路が整備され自家用トラックが普及する昭和30年代までは、草原を利用するには標高約500メートルの山裾に位置する集落から、標高800メートルの山上に広がる草地まで歩いて移動しなければならず、斜面には「草の道」と呼ばれる細い作業道が巡らされている。また作業期間中は草地に野営していた「草泊まり」の習慣が伝えられている。割り竹とススキで簡易小屋を作り、食料や炊事道具、布団などを持ち込んで、1回の草泊まりで10日間ほど滞在したという。




野焼きの延焼を防ぐための防火帯である「輪地(わじ)」

 阿蘇地方の草原は古くから続く「野焼き」によって維持されている。毎年早春に枯れ草を焼き払うことで、新しい草の芽吹きを助け、また低木類の生育を抑制して草原の森林化を防いでいる。辺り一面が炎に包まれる野焼きは非常に危険を伴う作業であり、焼く範囲の制御が重要である。そこで夏から秋にかけて防火帯を作る「輪地切り」が行なわれる。6〜10メートルほど帯状に草を刈り、乾燥した後に燃やして完成するのだが、まだ草が青い時期に行なう必要があるため極めて重労働である。本番の野焼きでは、作業員は燃えにくい木綿の服を着用し、牧野組合長や長老と呼ばれるリーダーの指揮によって行動する。焼いた後は火消し棒や水の噴射によって残り火を消し、安全を確保して完了となる。

2014年09月訪問
2021年10月再訪問




【アクセス】

・阿蘇市中心部から車で約30分。

【拝観情報】

・散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【参考文献】

・月刊文化財 平成29年9月(648号)
・月刊文化財 令和3年2月(689号)
阿蘇の文化的景観 阿蘇北外輪山及び中央火口丘群の草原景観 保存計画
阿蘇の文化的景観 阿蘇北外輪山及び中央火口丘群の草原景観|国指定文化財等データベース
阿蘇の草原ハンドブック

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