無量光院跡

―無量光院跡―
むりょうこういんあと

岩手県西磐井郡平泉町
特別史跡 1955年指定


 岩手県を南北に貫く北上盆地、その南端部に位置する平泉は、東を北上川、北を衣川、南を太田川によって取り囲まれた、水陸交通の要衝というべき場所である。平安時代末期に奥州藤原氏の拠点として栄華を誇ったことで知られ、その中心部には往時の繁栄を伝える寺院や遺跡が数多く残されている。そのうち藤原氏の居館であった「平泉館(ひらいずみのたち)」に隣接する「無量光院」は、三代藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が京都宇治の平等院鳳凰堂を模して築いた「浄土式庭園」の仏教寺院である。奥州藤原氏の滅亡後に火災によって堂宇を焼失したものの、その跡地には今もなお礎石や土塁、池の跡が現存しており、西方極楽浄土を表現した庭園の姿を今に伝えている。




現在は木々が茂る無量光院の本堂跡

 嘉保年間(1094年〜1095年)頃に平泉へ移った藤原清衡(ふじわらのきよひら)は、その拠点として「平泉館」を建造。長治2年 (1105年)頃からは「中尊寺」の堂宇造営に着手し、以降約100年続く奥州平泉氏の礎を築いた。二代藤原基衡(ふじわらのもとひら)は久安6年(1150年)から久寿3年(1156年)にかけて「毛越寺(もうつじ)」の造営を行い、それに伴う東西大路の敷設など都市機能の整備を進める。そして三代秀衡は平泉館を大々的に改装し、その西側に「無量光院」を建立。新たな市街地の整備を行い、以降、文治5年(1189年)に四代藤原泰衡(ふじわらのやすひら)が源頼朝によって討たれるまで、平泉は北の都として最盛期を迎えることとなる。




本堂跡に残る礎石
奥には敷地の境界であった土塁が見える

 無量光院については鎌倉幕府が編纂した歴史書である『吾妻鏡』に詳しい記述が見られるが、昭和27年(1952年)に実施された発掘調査によってその内容が裏付けられた。無量光院の境内はほぼ東面して構えられ、その寺域は東西約240メートル、南北約270メートルにも及ぶ。東、西、北の三方は土塁を築いて敷地の境界としていたが、南側は明らかになっていない。北側から西側に渡っては、土塁の外に濠の跡が確認されている。境内の中央には苑池があり、その北側に栗石を敷いた島が築かれ、丈六(立った時の身長が一丈六尺4.85メートル)の阿弥陀如来像を祀る本堂が建てられていた。この本堂は、毛越寺が所管する新しい堂宇という意味で「新御堂(にいみどう)」と称されていた。




無量光院本堂の復元図(現地案内板より)

 新御堂は中堂の左右に翼廊が伸びる、平等院鳳凰堂と同様の形式だ。中堂の規模は桁行五間、梁間四間であり、これは鳳凰堂とほぼ同じ。翼廊は六間で手前に折れてさらに三間、つまり延長九間であり、これは鳳凰堂よりも一間分長い。鳳凰堂を模倣しつつも一回り大きく建てられた新御堂は、平泉を京都以上の町にしようという秀衡の意欲の表れなのではないかという説もある。辺りからは瓦が一切出土しておらず、屋根は板葺または檜皮葺だったと考えられている。なお平等院鳳凰堂には中堂の背後に尾廊が設けられているが、無量光院の新御堂には尾廊が存在しない。また本堂の前庭に塼(せん、素焼きのタイル)を敷き詰めているなど、無量光院ならではの特徴も見られる。




苑池の中央に配された、三角形の中島

 本堂の建つ島の手前、苑池の中央には三角形の中島が配されているが、これもまた平等院には存在しない要素である。本堂の島と同じく栗石によって敷石がなされており、全部で三棟の建物跡が検出されている。『吾妻鏡』によると、無量光院には三重塔が存在していたと記されており、この中島の遺構が三重塔跡とその付随施設であったと考えられている。中島の前後には橋が架けられており、山門から中島、そして本堂が一本の軸線で貫かれている。この橋は善男善女を救う弘誓(ぐぜい)の橋であり、山門から中島越しに本堂を望むことで、遥か西方に存在するとされる阿弥陀如来の世界「極楽浄土」を体現しているのである。




無量光院は金鶏山を借景とし、より高度な浄土空間を作り出している

 また本堂の背後には金鶏山が聳えており、日没時にはこの金鶏山に太陽が落ちるように設計されている。標高約100メートルの金鶏山は、その山頂に秀衡が雌雄一対の金の鶏を埋め、金鶏山と名付けたという伝説が残る。実際には銅製経筒や陶器の壺、甕、鉢などが出土しており、奥州藤原氏の経塚であったと考えられている。無量光院と一体のものとして浄土思想に基づく浄土景観を形成するなど、平泉における都市設計の基準点としても利用されたことから、平成17年(2005年)には国の史跡に指定された。無量光院は平等院をただ模倣するだけでなく、平泉のシンボル的な存在である金鶏山を借景として巧みに取り込んだ、緻密で完成度の高い浄土式庭園の完成形であるといえる。

2006年06月訪問
2015年10月再訪問




【アクセス】

JR東北本線「平泉駅」から徒歩約10分(駅にレンタサイクル有り)。

【拝観情報】

拝観自由。

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