旧弘道館

―旧弘道館―
きゅうこうどうかん

茨城県水戸市
特別史跡 1952年指定


 旧弘道館は水戸藩の第9代藩主である徳川斉昭(とくがわなりあき)によって開かれたかつての藩校である。その創建は天保12年(1841年)、7月に施設が完成し、8月に仮開館、その後の安政4年(1857年)に正式な開館式が執り行われている。創建当時、弘道館は現在の茨城県庁や三の丸小学校の敷地を含めた水戸城三の丸の全域およそ17.8ヘクタールの広大な敷地を有しており、日本最大の藩校であった。明治時代に入るとその大部分が取り払われてしまったものの、正庁を中心とする主要部分3.4ヘクタールは旧弘道館として今もなお残されている。それは江戸時代における藩校の姿を今に留める遺構として極めて貴重であり、国の特別史跡に指定されている。




旧弘道館正庁玄関

 文政12年(1829年)に水戸藩主となった徳川斉昭は、様々な藩政改革を成功させた幕末の名君として知られている。斉昭が行った藩政改革の内容は主に、全領地の検地を行う「経界の義」、藩士の土着化を図る「土着の義」、江戸定府制の廃止を行う「総交代の義」、そして有為な人材を育成する為の藩校や郷校を建設する「学校の義」の四つである。弘道館は、この「学校の義」に基づき創建されたものだ。斉昭は弘道館の建学精神と教育方針を家臣の藤田東湖(ふじたとうこ)に伝え、東湖はそれを「弘道館記」として著した。「弘道とは何ぞ。人能く道を弘るなり」で始まる「弘道館記」の文面は石碑にも刻まれ、それは弘道館記碑として八卦堂の内部に安置されている。




正庁内の三の間

 藩校は一般的に、儒学と武芸を学ぶ場とされていた。弘道館ではそれらのみならず、蘭学、医学、薬学、天文学など幅広い学問の教育が行われており、今で言う総合大学のような様相を呈していた。また通常の藩校では通常20歳くらいまでに卒業するのに対し、弘道館では「学問は一生を通じて行うものである」という考え方のもと、卒業という概念が無く若者から老人まで幅広い年齢の人々が同じ場で学んでいた。弘道館の敷地内には、文館や武館、寄宿寮、調練場や馬場、砲術場、それに天文台などが存在していた。弘道館の運営にかかる費用は決して少ないものではなく、財政状況が芳しくなかった当時の水戸藩において、いかに教育が重視されていたかうかがい知れる。




南東方向から正庁を見る

 弘道館の正面に構えられた四脚門は、藩主が出入りする時など公式の場合にのみ使用されていた正門である。この正門の奥には、弘道館で最も重要な建物である正庁が建つ。これは学校御殿とも呼ばれ、文武の試験や儀式などが行われる場であった。正庁と畳廊下で接続されている至善堂(しぜんどう)は藩主の坐所であり、また身分の高い公子たちの勉学所でもあった。いずれも大規模な書院造の建物であり、正庁は床と棚、付書院が備わる二十四畳の正席を中心に計七室、至善堂には床と棚が備えられた十二畳半の一の間を中心に計五室の構成である。また正庁の裏手には孔子廟と鹿島神社が存在するが、これは学生の精神の拠り所として斉昭が祀ったものである。




正庁と至善堂をつなぐ広い畳廊下

 明治元年(1868年)の明治維新において、水戸藩では改革派と保守派が衝突した。保守派は水戸城三の丸の弘道館に立てこもり、改革派との間で激しい銃撃戦が勃発。弘道館戦争と呼ばれるこの戦いにおいて、弘道館の建物はその多くが焼失してしまった。その後、建物が無事だった正庁と聖域を中心に公園化がなされたものの、第二次世界大戦の水戸空襲によって孔子廟、鹿島神社、八卦堂が焼失してしまう。今に見られるそれらの建物は、戦後に再建されたものだ。創建当時から残る建物は正庁、至善堂、正門の三棟で、これらは昭和39年(1964年)に国の重要文化財に指定された。備前国の閑谷学校と共に、江戸時代学校建築の代表例として著名である。




至善堂にある井戸

 江戸幕府第15代将軍であり、幕府最後の将軍となった徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は、弘道館を創建した徳川斉昭の七男である。斉昭の厳しい教育方針のもと、慶喜もまた5歳の頃より弘道館において勉学に励んでいた。第13代将軍徳川家定(とくがわいえさだ)の将軍継嗣問題の際、斉昭は慶喜を次期将軍に推し、徳川慶福(とくがわよしとみ)を擁す井伊直弼(いいなおすけ)と対立。斉昭はその政争に負けて永蟄居となり、翌年の万延元年(1860年)に死去している。その後、将軍に就任した慶喜が慶応3年(1867年)に大政奉還し、江戸城を無血開城した際には、かつて学問を修めた弘道館の至善堂にて恭順謹慎しており、弘道館には今もなお慶喜ゆかりの品が残されている。

2006年09月訪問
2008年09月訪問




【アクセス】

JR常磐線「水戸駅」より徒歩約10分。

【拝観情報】

拝観料190円。
拝観時間は2月20日〜9月30日が9時〜17時、10月1日〜2月19日が9時〜16時30分。

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