常陸国分尼寺跡

―常陸国分尼寺跡―
ひたちこくぶんにじあと

茨城県石岡市
特別史跡 1952年指定


 茨城県の南部北よりに位置する石岡市は、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代にかけての遺跡が数多く残る、極めて長い歴史を有する町である。律令制が敷かれ、朝廷が中央集権的に地方を統治していた古代の頃、この地は常陸国の中心として存在し、行政機関である国府や、国の鎮守であった国分寺、および国分尼寺が置かれていた。そのうちの国分寺は、今もなお寺院として存続しており、その境内には創建当時における国分寺の有様を示す遺構が良好に残る事から、特別史跡の指定を受けた。国分寺の北西に位置する国分尼寺は、既に廃寺になってはいるものの、国分寺同様に土壇や礎石などの遺構が良好に残されている事から、こちらもまた特別史跡に指定されている。




中門跡から金堂跡を見る

 奈良時代中期の天平年間は、世情が非常に荒れた時代であった。天平9年(737年)には天然痘が流行し、当時政権を握っていた藤原四兄弟を始めとする政府高官が相次いで死亡。それに次ぐ政権争いによって、天平12年(740年)に「藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の乱」が勃発し、中央は乱れに乱れた。また天災や疫病も続いた事で、その動揺は国全体へと広がっていく。聖武天皇はこれらの災厄を仏教の力で鎮めようと、天平13年(741年)に「国分寺建立の詔」を発し、日本各国に一寺ずつ、国分寺と国分尼寺をペアで建立する事を命じた。なお、奈良の東大寺、および法華寺は、それぞれ総国分寺、総国分尼寺として、各国の国分寺、国分尼寺の総本山に位置付けられていた。




講堂跡と、そこにわずかに露出する礎石

 鎌倉時代に入り、源頼朝(みなとものよりとも)が武家政権を樹立して幕府を開くと、朝廷はその力を失い、律令制は完全に崩壊した。朝廷という財政的な後ろ盾を失い、また鎌倉時代には様々な新仏教が台頭した事も相まって、国分寺と国分尼寺は衰退の一途を辿る事となる。特に国分尼寺は、一般的に国分寺よりも早く衰退したと考えられており、よって現在にまで残る国分尼寺は国分寺に比べて少なく、創建当時の伽藍配置はおろか、位置さえ確かでない所も数多い。そのような中、かつての伽藍配置を今に伝える遺構が良好に現存し、様々な史料が発掘されている常陸国分尼寺は極めて稀有な存在であり、国分尼寺としては全国で唯一、特別史跡の指定を受けている。




中門跡から講堂跡にかけて伸びる回廊跡

 常陸国分尼寺跡は、古来より尼寺ヶ原(にじがはら)と称されてきた地域に存在している。創建当時の常陸国分尼寺には、10人の尼僧が在籍し、寺の運営は10町の水田によってまかなわれていた。その伽藍配置は、中門、金堂、講堂が南北一直線上に配され、中門から講堂にかけて回廊が巡らされる形である。元は、この主要建造物の範囲のみが特別史跡の指定範囲であったが、昭和44年(1969年)より行われた4次に渡る発掘調査によって、新たに中門の南に南大門が、また建造物群の周囲を巡る約3メートル幅の溝跡が発見され、それにより常陸国分尼寺の規模は、およそ1.5町(約164メートル)四方であったと判明し、後の昭和47年(1972年)にはその全域が追加登録された。




講堂の後ろに位置する北方建造物跡

 寺院の中心を担っていた金堂の跡には、約1メートルの高さを持つ土壇が築かれており、そこには現在、10個の礎石が残されている。かつてはここに、桁行五間、梁間四間の規模を持つ金堂が建っていた。またその背後に位置する講堂の跡には、金堂よりも低い約30センチメートルの高さを持つ土壇が築かれ、現在24個の礎石が残されている。講堂の建物の規模は、桁行七間、梁間四間であった。また講堂の背後西よりからは、堀立柱の建物跡が発見されている。中門跡の手前に位置する南大門もまた堀立柱の門で、その規模は桁行三間、梁間二間である事が判明している。国分寺や国分尼寺において、南大門の位置や規模が特定される例は少なく、これは非常に珍しい。




建物跡の周囲には、土塁が巡らされている

 国分寺のことを正式には「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」といい、また国分尼寺は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」という。昭和44年からの発掘調査では、前述の南大門跡や溝跡の他、墨で「法華」と書かれた土師器(はじき、素焼きの土器)が発見されており、ここが確かに常陸国分尼の跡である事が証明された。また、それより以前には奈良時代にまで遡る軒丸瓦、丸瓦も発見されており、それは常陸国分寺跡から出土したものと同じ形状のものである。なお、石岡市の部原地区には、これらの瓦を焼いたとみられる瓦塚窯跡遺跡が存在している。そこからは、計24基の窯跡が発見されており、常陸国最大級の古代窯跡として注目されている。

2006年09月訪問
2011年08月再訪問




【アクセス】

JR常磐線「石岡駅」より徒歩約30分。

【拝観情報】

境内自由。

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