新居関跡

―新居関跡―
あらいのいせきあと

静岡県浜名郡新居町
特別史跡 1955年指定


 静岡県西部、浜名湖の西岸に位置する新居町は、東海道に設置された53箇所の宿場町、いわゆる東海道五十三次の31番目にあたる、荒井宿(あらいじゅく)が置かれていた町である。浜名湖東岸に置かれてた30番目の舞坂宿(まいさかじゅく)と、「今切(いまぎれ)の渡し」と呼ばれる渡し舟で結ばれていた荒井宿は、東海道最大の難所である箱根峠の箱根宿と共に、東海道における交通の要所として知られており、幕府によって関所が設けられていた。そのかつての関所跡である新居関跡には、関所として機能していた江戸時代より残る建造物が今もなお存在している。主要街道において関所建築が現存する例は他に無く、新居関跡は非常に貴重な史跡として、特別史跡に指定された。




新居関跡は唯一関所建築が現存する関所跡である

 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで勝利を納めた徳川家康は、西軍の残党を取り締まる為、また東軍の大名が寝返るのを防ぐ為、すぐに浜名湖の西岸に関所を置いて、人の往来を監視した。また翌年の慶長6年(1601年)には、江戸を基点とする五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の整備を命じており、それらの街道には一里(約4キロメートル)ごとに一里塚が築かれ、また一定の間隔ごとに宿の便や人馬の継ぎ送りの為の宿場が置かれた。江戸から太平洋沿岸を経て京都へ至る東海道は、特に通行量の多い主要街道であり、その後も江戸時代を通じ、「山の関所」である箱根関と「海の関所」である新居関の二箇所で、通行者を取り締まっていた。




面番所には書院が接続されている

 なお、家康によって関所が設置された当初は新居関という名ではなく、今切関と呼ばれていた。その名の通り、現在地よりも浜名湖の開口部に近い今切に位置していたが、半島状に突き出た今切は水害を受け易く、元禄12年(1699年)の地震による津波で流されてしまった。その翌年の元禄13年(1700年)、今切関は現在の新居駅近くに移転したが、それもまた宝永4年(1707年)に起きた宝永地震の津波により、宿場もろとも壊滅してしまう。翌年の宝永5年(1708年)に再度移転し、ようやく現在地に落ち着いたのだ。しかし現在に残る関所の建物はこの時のものでもなく、さらにその後、嘉永7年(1854年)の大地震において倒壊したのち、翌年の嘉永8年(1855年)に再建されたものである。




面番所の背面
奥に見えるのは下改勝手(したあらためかって)と足軽勝手だ

 新居関などの関所では、通行者に対し厳しい検問が実施されていた。それは「入り鉄砲に出女」と言われるように、鉄砲が江戸内に入る事と、女性が江戸外へ出る事について、特に目を光らせていた。これは武器が江戸に持ち込まれる事と、人質として江戸に留められていた大名の妻や娘が密かに領国へ戻る事、すなわち幕府への謀反を防ぐ為の措置である。鉄砲を江戸に持ち込む為には、老中が発行する鉄炮手形が必要であり、また女性が江戸外に出るには、留守居(るすい)が発行する女手形が必要であった。関所を迂回しようとしても、近隣の農民が関所の目となり、密告する制度を採っていたという。なお、関所破りは重罪とされ、磔刑に処すという決まりであった。




通行者が取調べを受けた面番所(めんばんしょ)内部

 舞坂宿から「今切の渡し」でやってきた人々は、新居関の船着場に到着し、面番所で取調べを受けた。また女性の場合は、関所に常駐している改め女(旗本の母親が担っていたという)より身体を調べられ、手形に書かれている特徴と一致するか、身体や髪の中に密書を隠し持っていたりしないか、確かめられたという。このような厳しい検問も、多くの庶民が旅行に出るようになった江戸時代後期になると緩み始め、関所側の旅籠や茶屋で手形が発行されたり、また無手形や関所破りも横行したという。大名の家族が領国に戻る事が許された幕末においては、関所はほぼ意味を成さなくなり、そして幕府滅亡後の明治2年(1869年)には関所廃止令が出され、街道の関所は完全に廃止となった。




新居関はかつては海に面していた
現在は護岸石垣と船着場の一部が復元されている

 関所廃止令に伴い、各所の関所建造物は全て取り壊されてしまったが、新居関だけは学校や町役場として利用される事で、解体を免れる事ができた。現存している建物は、45畳(25畳、20畳の二間)の面番所を中心に、書院、下改勝手、足軽勝手が並んでいる(勝手とは休憩所の事だ)。かつては台所や給人勝手、番頭勝手が面番所の北側に接続し、また別棟として船会所や女改長屋や土蔵などが存在したが、それらは失われている。関所の周囲は後世に埋め立てられてしまったが、発掘調査によって護岸石垣や船着場跡が発見されており、船着場の一部が復元されている。また敷地の周囲で調査が進み、失われた建造物の復元が進むなど、かつての新居関の姿を今に取り戻しつつある。

2007年01月訪問
2011年03月再訪問




【アクセス】

JR東海道線「新居駅」より徒歩約15分。

【拝観情報】

拝観料300円、拝観時間は9時〜16時30分、月曜閉館(祝日の場合はその翌日)。

【関連記事】

亀山市関宿(重要伝統的建造物群保存地区)