―彦根城跡―
ひこねじょうあと
滋賀県彦根市 特別史跡 1951年指定 滋賀県彦根市、琵琶湖を西に臨む丘の上に立つ国宝天守と櫓群。これらは、江戸時代初頭に立てられた平山城(平地にある丘を利用した城)、彦根城の建造物だ。別名金亀城と呼ばれるこの彦根城には、近世城郭の遺構が良好に残されており、その価値の高さから国の特別史跡に指定されている。なお、その指定範囲は城郭跡を中心とし、幕末の大老である井伊直弼が青春時代を過ごした屋敷、埋木舎(うもれぎのや)も含まれている。 慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの後、東軍の井伊直政はその功績を称えられ、石田三成の領土を与えられ佐和山城に入城し彦根藩の初代藩主となった。佐和山城は優れた城であったが、石田三成の居城であったことを直政が嫌い、城を移すことになった。しかし直政は関が原で受けた傷により慶長7(1602)年に死去。その意思を直政の旧臣が継ぎ、慶長8(1603)年、琵琶湖畔の彦根山に彦根城の建設を開始した。 彦根城は今でこそ埋め立てにより周囲全方向を陸に囲まれているが、築城当時は北に内湖(琵琶湖に繋がった湖)を望む水辺の城であり、三重に巡らされた堀には湖の水が取り入れられていた。内堀の内側は郭が整備され、内堀と中堀の間には藩主の下屋敷である槻(けやき)御殿や家老などの邸宅が建てられた。また中堀と外堀の間には武家屋敷と町屋が区画され、そして外堀の外は足軽と商工人の住居があった。 彦根城の縄張りは南北に通る尾根沿いに作られ、南より「鐘の丸」「太鼓丸」「本丸」「西の丸」が直線的に連なる構造を取る。このうち鐘の丸と太鼓丸の間、および西の丸の外側の二箇所には、大堀切という巨大な空堀が尾根を断つように設けられ、本丸への侵入を困難なものにしている。また山の斜面には登り石垣(山を登るように築かれた石垣)が5箇所に渡って設けられている。 現在でも彦根城には、天守をはじめ主要な建造物が数多く残されている。このうち天守は国宝であり、それ以外は重要文化財だ。二の丸跡には元禄時代に建てられた馬屋が残されているが、城内に馬屋が現存する例は彦根城の他に無く、貴重である。また、藩主の下屋敷跡である玄宮園および楽々園は、国の名勝に指定されており、その庭園越しに見る天守は彦根城を代表する景観となっている。 彦根城は周囲の城から様々な建造物を移築して作られたパッチワークのような城である。現存する建物では天秤櫓が長浜城から、西の丸三重櫓が小谷城から、佐和山口多聞櫓は佐和山城から、そして天守は大津城からそれぞれ移築されたものだ。石垣の石材もまたそれらの城より集められた。ゆえにこれらは、彦根城の建物としての歴史に加え、それぞれの移築元での歴史もまた積み重なった、貴重な建造物である。 2008年03月訪問
2011年03月再訪問
【アクセス】
JR東海道本線「彦根駅」から彦根城入口まで徒歩約15分。 【拝観情報】
拝観料金は彦根城、玄宮園共通で600円。 拝観時間8時〜17時、年中無休。 ・彦根城天守、附櫓及び多聞櫓(国宝建造物) ・彦根市河原町芹町地区(重要伝統的建造物群保存地区) Tweet |