―平城京左京三条二坊宮跡庭園―
へいじょうきょうさきょうさんじょうにぼうみやあとていえん
奈良県奈良市 特別史跡 1978年指定 特別名勝 1992年指定 712年に遷都された平城京は、平城宮を中心に整然と区画がなされた条坊制の都であった。平城宮からは72mもの幅を持つ朱雀大路が南へと走り、その朱雀大路から西を右京、東を左京と定めていた。この朱雀大路を基に、南北へは「条」と呼ばれる大路が、東西には「坊」と呼ばれる大路が碁盤目状に通され街作りが行われた。平城京左京三条二坊宮跡庭園はその名のとおり、平城京の北端から三条、朱雀大路から東へ二坊のところにあった、奈良時代の庭園跡である。 昭和50(1975)年、奈良郵便局の移転に伴い発掘調査が実施されたところ、奈良時代の庭園跡がそっくりそのまま発掘されたのだ。その時見つかったのは池と12棟の建物跡、それに7条の塀と2基の井戸などである。これらの庭園遺構は規模が大であることのみならず、保存状態が極めて良好であり、庭園がどのように作られたかといった細かなことも確認できる他に類を見ない庭園遺跡として1978年に特別史跡に、さらに1992年には特別名勝に指定された。 発見された池跡は、粘土で固めた上に玉石が敷き詰められており、水辺には礫石や組石などが並べられていた。池は北から南へとS字を描くように蛇行しており、池に杯を浮かべ歌を詠む曲水の宴も行うことができる構造になっていた。その平均幅は約15メートル、全長は約55メートルにもなる。なお、池の中二ヶ所からは枡型の木組が発見されたが、その内部から検出された花粉より、これらには観賞用の水生植物が植えられていたとされる。 池の北端には木桶で作られた暗渠(地下水路)の導水施設が設けられており、北側の川から地中を通して水を引くことができるようになっていた。引き込んだ水は石組みに一旦溜めて不純物を取り除いた後、池に注がれる仕組みとなっている。また池の南端には流れてきた水を出すための排水施設が確認されている。これも導水施設同様、木桶の暗渠で作られていた。 池の西側には、南北へ伸びる建物の遺構が発見されている。これは東山を借景として庭園を眺めることを意識した建物であるとされ、また二度建てられていることも確認されている。現在その跡には礎石を使わず柱を地面に埋める掘立柱の建造物として復元されている。なお、この建物や池を囲うように四方に塀が巡らされていた跡も発見されており、それらは庭園を中心に建造されていたことが見て取れる。 この庭園遺跡から出土した軒瓦の中は平城宮で用いられていた瓦と同じものが多く、また同じく出土した木簡に書かれた文字も朝廷と関係のある文字が多い。さらに、平城京とこの庭園遺跡の位置関係は、平安京とその禁苑(天皇の庭園)である神泉苑における位置関係とも一致していることから、この庭園遺跡もまた朝廷と関わりのある施設であったと考えられている。 2009年01月訪問
【アクセス】
近鉄奈良線「新大宮駅」より徒歩約15分。 近鉄奈良線「奈良駅」などより奈良交通バス「宮跡庭園バス停」下車すぐ。 【拝観情報】
拝観無料。 拝観時間は9時〜17時(入園は16時30分まで) 。 休園日は毎週水曜日、その他不定期。 ・平城京跡(特別史跡) ・平城宮東院庭園(特別名勝) Tweet |