平城宮跡

―平城宮跡―
へいじょうきゅうせき

奈良県奈良市
特別史跡 1952年指定


 奈良盆地北部、奈良市の市街地に広がる平城宮跡は、和銅3年(710年)に奈良盆地南部の藤原京から遷都した、平城京の大内裏(だいだいり)跡である。10万人もの人口を抱えていたという巨大な都、平城京の中央北端に位置する平城宮は、儀式を行う為の大極殿(だいごくでん)、天皇の居所である内裏(だいり)、政治を行う為の朝堂院(ちょうどういん)、各種の官衙(かんが、役所の事)などが集まる為政の場であり、延暦3年(784年)に長岡京へ遷都するまでの74年間、国家の中枢として政治を担っていた。その跡地には、主要建造物などの遺構が残り、また「地下の正倉院」と称される程に木簡(もっかん、文字を書く為の木板)などの出土品も夥しく、国の特別史跡に指定されている。




第一次朝堂院跡
平城宮跡は約120ヘクタールもの広大な敷地を持つ

 和銅元年(708年)2月、元明天皇は平城京遷都の詔を発し、和銅3年(710年)3月10日に平城京へと遷都した。20年以上の歳月をかけて築き上げた藤原京をわずか16年で放棄した理由としては、遣唐使からもたらされた情報から、都城の中心に宮を置く藤原京の構成は既に時代遅れとされた説、藤原宮が比較的低地に存在する為、汚水が流れ込むなど環境が悪化した為とする説、時の最高権力者であった右大臣の藤原不比等(ふじわらのふひと)が、孫であり後の聖武天皇となる首皇子(おびとのみこ)の為の舞台として平城京を用意した説など諸説ある。また、遷都に要した年数も2年と非常に短いが、これは平城京の建造物の多くは、藤原京の建造物を移築した為と考えられている。




平成10年(1998年)に復元された平城宮の正門、朱雀門
この朱雀門から羅城門まで、朱雀大路が伸びていた

 藤原京にて日本で初めて採用された条坊制は、平城京にも引き継がれた。条坊制とは、都の中央を南北に通る朱雀大路を基軸とし、条と呼ばれる東西の道、坊と呼ばれる南北の道を、碁盤目状に配した矩形の都市プランだ。平城京の規模は、東西8坊で4.3キロメートル、南北9条で4.8キロメートル。その東部には3坊4条の外京が張り出しており、正方形だった藤原京に比べ、やや変則的な形状となっている。なお、平城京のメインストリートにあたる朱雀大路は、平城宮の正門である朱雀門を基点とし、平城京の玄関である羅城門まで伸びていた。路面の幅は約70メートルと非常に広く、両端には側溝と築地壁が設けられ、それらを含めると幅約90メートルにもなる大通りであった。




第二大極殿跡
木柱は播(ばん)と呼ばれる旗を立てるためのポール

 平城京の大内裏である平城宮は、1キロメートル四方の東側に、南北約750メートル、東西約270メートルが張り出した形状である。平城宮の中枢部は、主に中央区と東区に分かれ、中央区は朱雀門から北へ「第一次朝堂院」「第一次大極殿」が並び、東区は壬生門から北へ「朝集殿院」「第二次朝堂院」「第二次大極殿」「内裏」が並んでいる。造営当初、朝堂院と大極殿は中央区に建てられていたが、天平12年(740年)に聖武天皇が恭仁京へ突然の遷都を行った事で、平城京の主要建造物はそちらへ移築。その後、難波京を経て天平17年(745年)に再び平城京へ遷都した際、元の中央区ではなく東区に朝堂院と大極殿が建てられた為、第一次、第二次と、二箇所の遺構が残るに至った。




東院の宮跡に鎮座する宇奈多理座高御魂神社の本殿(重要文化財)

 中央区、東区のみならず、平城宮東側の張り出し部南半分にあたる東院地区もまた、重要な地区である。日本書紀によると、東院地区は「東宮」もしくは「東院」と呼ばれ、神護景雲元年(767年)に完成した「東院玉殿」や、宝亀4年(773年)に完成した「楊梅宮」は、ここに存在したと考えられている。発掘調査によって、東院地区の南東部から庭園の遺構が出土しており、その遺構に基づいて復元された東院庭園は、2010年に特別名勝に指定された。庭園の北側には東院の宮殿があったと推測されるが、そこには平城宮の廃止後に祀られた宇奈多理座高御魂(うなたりにいますたかみむすび)神社が鎮座しており、その本殿は室町時代前期の三間社流造で重要文化財に指定されている。




遷都1300年に合わせ、2010年に復元された第一次大極殿

 長岡京に遷都後、平城宮は放棄され100年後には田畑に帰したという。歴史に埋もれた平城京を蘇らせたのは、江戸時代末期の研究家、北浦定政(きたうらさだまさ)であった。定政は地名や水田の畝などから平城京の条坊を調査。嘉永5(1852年)に「平城宮大内裏跡坪割之図」をまとめ、平城京研究の嚆矢となった。明治時代には、建築史家の関野貞(せきのただし)が平城宮の主要建造物跡を発見。また、市民による平城宮跡の保存運動も行われ、以降、長期に渡り調査が行われていく。徐々に全貌が解明されていく中、保存運動も全国的な広がりを見せ、平成10年(1998年)には「古都奈良の文化財」の構成要素として世界遺産に登録され、平成21年(2009年)には国営公園となった。

2006年12月訪問
2010年06月再訪問




【アクセス】

近鉄「大和西大寺駅」より奈良交通バスで約5分「平城宮跡バス停」下車すぐ。
近鉄「大和西大寺駅」より徒歩約15分。


【拝観情報】

見学自由。

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