宝厳寺唐門、都久夫須麻神社本殿

―宝厳寺唐門―
ほうごんじからもん

―都久夫須麻神社本殿―
つくぶすまじんじゃほんでん

滋賀県長浜市
国宝 1953年指定


 琵琶湖の北岸を分かつように突き出た葛籠尾崎(つづらおざき)。その先端から南へ約2kmほど沖合いへ出たところに竹生島(ちくぶしま)はある。周囲の水深は極めて深く、島自体も切り立った険しい地形からなる竹生島は、神の島として知られている。島内には弁才天を本尊とする宝厳寺(ほうごんじ)が建ち、その境内に祀られた浅井姫命(あざいひめのみこと)を主祭神とする都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)と共に、神仏習合の霊場として古くより人々の信仰を集めてきた。また豊臣秀吉との関係も深く、豊臣家ゆかりの地から移築された建造物も多数現存している。その中でも特に貴重とされる宝厳寺唐門と都久夫須麻神社本殿が、国宝の指定を受けている。




海より竹生島を望む
中央には都久夫須麻神社本殿、左には宝厳寺観音堂の檜皮葺き屋根が見える

 宝厳寺は奈良時代の神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願を受けた僧侶の行基が勅使として竹生島に渡り、開基したと伝わっている。以降、度々天皇の行幸があり、また伝教大師最澄や弘法大師空海などの高僧も訪れている。平安時代頃からは、湖の神である浅井姫命は弁才天と同一視されるようになり、都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化して神仏習合の時代が長らく続いた。ところが明治時代に入り神仏分離令が布告されると、宝厳寺の本堂は都久夫須麻神社本殿へと改められてしまう。宝厳寺はなんとか廃寺こそ免れたものの、しばらくは本堂が無いままの状態であった。その後、昭和17年(1942年)に現在の本堂が建てられ、また平成12年(2000年)には三重塔が復興され、現在の伽藍となった。





宝厳寺唐門を正面から見る

 度々火災に見舞われた宝厳寺は、そのつど堂宇が建替えられてきた。現在の都久夫須麻神社本殿(旧宝厳寺本堂)、渡廊、観音堂、および唐門は、その全てが永禄元年(1558年)に起きた大火の後、豊臣秀頼(とよとみひでより)の命により近江国浅井郡(現在の長浜市)出身の武将である片桐且元(かたぎりかつもと)が復興したものである。それらの建物のうち最も手前、千手観音立像を祀る観音堂(重要文化財)への玄関口として建てられたのが国宝の唐門だ。この唐門は京都の東山にあった豊臣秀吉を祀る豊国廟の正門であった極楽門を移築したものであるということが、豊国廟の社僧であった神龍院梵舜(しんりゅういんぼんしゅん)記の梵舜日記により判明している。




唐門の蟇股(かえるまた)とその彫刻

 宝厳寺唐門は一間一戸で正面に唐破風を持つ向唐門(むかいからもん)であり、屋根は檜皮葺きだが頭頂部の箱棟(はこむね)には瓦が乗っている。横幅に比べて高さが無いため若干バランスが悪く見えるが、これは豊国廟から移築された際に改造された為だ。破風板(はふいた)や大虹梁(だいこうりょう)には飾金具が打たれ、蟇股やその周囲などは透かし彫りの彫刻が施されている。扉部分の桟唐戸(からさんど)もまた彫刻で飾り立てられており、まさに豪華絢爛な桃山様式唐門の代表例である。この唐門から続く観音堂も唐門と同様豊国廟の建物を移築したものであるが、竹生島では十分に土地が確保できないため、長い柱で建物を支える懸造(かけづくり)で建てられている。




都久夫須麻神社本殿を正面から見る

 現在の都久夫須麻神社本殿でありかつての宝厳寺本堂は、桁行三間に梁間三間、周囲に一間の庇を巡らし、前面には一間の向拝、左右と背後に霧除けと呼ばれる庇を付けている。身舎(もや、建物本体のこと)の部分と庇の部分で建築の様子が異なるが、このような形になったのは少々変わった経緯を経ての事である。まず大火後の永禄10年(1567年)、桁行五間、梁間三間、向拝一間の建物として本堂が再建された。しかしその後の慶長7年(1602年)、豊臣秀頼により伏見城の日暮御殿(ひぐらしごてん)が寄進されると、それを本堂の身舎に取り込む形で改造がなされ現在の形になった。故に、向拝や庇の方が身舎よりも年代が古いという、極めて珍しい建物に仕上がっている。




都久夫須麻神社本殿の正面、向拝部分
肝心の身舎はこの幕の内側であるが、内部の写真撮影は禁止である

 都久夫須麻神社本殿の身舎部分、すなわち伏見城から移築された部分は、桃山時代の御殿遺構ということもあり、その内部には眩いばかりの装飾が施されている。狩野派の代表的人物である狩野永徳(かのうえいとく)、および永徳の息子である狩野光信(かのうみつのぶ)の筆による襖絵や、折上格天井の鏡板に描かれた金地著色の草花絵図などを始め、柱や床、長押などには黒漆を塗った上に花や鳥などの高台寺蒔絵が施され、また身舎正面の桟唐戸や欄間には極彩色の彫刻がはめ込まれているなど、ありとあらゆる装飾法を用いて豪華に彩られている。それはまさに、桃山文化を代表する建築物と言うにふさわしい華やかさである。

2009年05月訪問




【アクセス】

JR湖西線「近江今津駅」から「今津港」まで徒歩約5分、「今津港」から観光船で「竹生島」まで約25分、下船すぐ。

JR北陸本線「長浜駅」から「長浜港」まで徒歩約10分、「長浜港」から観光船で「竹生島」まで約30分、下船すぐ。

【拝観情報】

拝観料400円、拝観時間は観光船の運行時間(9時30分〜15時50分)。

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