當麻寺本堂(曼荼羅堂)

―當麻寺本堂(曼荼羅堂)―
たいまでらほんどう(まんだらどう)
国宝 1952年指定

奈良県葛城市


 奈良盆地の西の端にそびえる二上山(ふたかみやま)は、日が沈む位置にある山として、日出ずる三輪山と共に、太古より人々に信仰されてきた聖山である。また二上山の南には、大和朝廷によって整備された日本初の官道、竹内街道が通り、大和と河内を結んでいる。このように、信仰と交通の要所であった二上山の麓には、その由緒を飛鳥時代まで遡る、極めて古い歴史を持つ仏教寺院、當麻寺が座している。その由緒に相応しく、當麻寺の境内には数多くの歴史的建造物が残されているが、そのうち曼荼羅堂とも呼ばれる本堂には、暗殺から逃れ、當麻寺に入って尼僧となった中将姫(ちゅうじょうひめ)が、一晩で織り上げたと伝わる当麻曼荼羅が掲げられており、古くより人々の信仰を集めてきた。




今も残る子院の一つ、中之坊
その庭園は国指定の名勝で、書院は重要文化財である

 當麻寺は、聖徳太子の異母兄弟である麻呂子親王(まろこしんのう)が612年に河内の国に建立した、万法蔵院(まんぽうぞういん)を起源としている。その後の681年には、麻呂古王の孫にあたる当麻国見(たいまのくにみ)が、役行者(えんのぎょうじゃ)にゆかりのある現在の二上山麓に移し、禅林寺と改めた。この禅林寺が現在の當麻寺である。平安時代には末法思想(仏陀の立教より1000年経つと、仏法が及ばない世界になるという考え)が広まり、それと共に當麻寺は、阿弥陀如来が治める西方浄土の世界を表現した、当麻曼荼羅を安置するの寺として広く知られるようになった。救いを求める人々により當麻寺は大いに栄え、最盛期には40以上もの子院が周囲にひしめいていたという。




鎌倉時代前期の再建である金堂(重要文化財)
中には創建時の本尊であった塑像の弥勒仏坐像(国宝)が鎮座する

 當麻寺の境内を見るにあたり、まずは信仰対象の変化による参道の変遷を知らねばならない。現在の参道が東から本堂(曼荼羅堂)へ向かうのに対し、かつての参道は南から金堂に向かうものであった。創建時の本尊は弥勒仏であり、伽藍の中心はあくまでも弥勒仏を安置する金堂であったのだ。そもそも當麻寺は、南北一直線上に南大門、金堂、講堂が建ち、金堂の前方左右に塔が二基配されるという、薬師寺のような伽藍配置である。しかし時代が進み、信仰の中心が弥勒仏から当麻曼荼羅へ変わると、伽藍の中心もまた金堂から曼荼羅堂へと変わり、参道も東向きに変化したのだ。現在は南大門が存在せず、故に金堂と講堂はあさっての方向を向いて建つように見えるが、本来はそちらの方向が正面だったのである。




現在の本堂である曼荼羅堂(中央)と、金堂(左)および講堂(右)

 現在の本堂である曼荼羅堂は、平安時代後期の永暦2年(1161年)に完成したものであることが、棟木の墨書より判明している。その内部は内陣と外陣に分かれており、そのうち内陣には天平様式の切妻造建築に用いられていた二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)の架構など、奈良時代の技法が認められる。また、部材の一部にも、奈良時代のものが含まれている事から、この建物は奈良時代に建てられた建造物の古材を利用して、平安時代前期に建てられた堂宇を内陣として、平安後期に外陣を付け加える形で大々的な改築がなされ、永暦2年に棟上された建造物であるということが分かったのだ。この曼荼羅堂は、天平の名残を残す平安時代後期の和様建築として、極めて貴重なものである。




曼荼羅堂の左手側部
一種類の扉ではなく、様々な種類の扉が並ぶ点が珍しい

 曼荼羅堂の規模は、桁行七間に梁間六間。正面中央五間に板戸を開き、両端間は引違格子戸でその上に連子窓(れんじまど、格子をはめた窓)を設けている。側面は引違格子戸のみならず、蔀戸(しとみど、水平に跳ね上げる吊り戸)、連子窓など、様々な建具がはめられている。屋根は一重の寄棟造で、本瓦葺き。垂木は二軒、組物は平三斗(ひらみつど)で、中備には間斗束(けんとづか)を入れる。本堂の背後北より三間には、文永5年(1268年)頃に増築された、閼伽棚(あかだな、仏に供える水を汲む桶の収蔵庫)が付属している。曼荼羅堂は東側に入口を向けているが、これは阿弥陀如来は西方の極楽浄土にいるとする浄土思想に基いたもので、参拝客は西を向いて拝むようにできている。




建築様式の異なる閼伽棚が付属した、曼荼羅堂の後部

 曼荼羅堂の内陣には、当麻曼荼羅をかける為の巨大な厨子(国宝)を安置している。伝承によると、当麻曼荼羅は奈良時代の右大臣である藤原豊成(ふじわらのとよなり)の娘である中将姫が、継母による暗殺を逃れ、尼として當麻寺へ入り、蓮の糸を用いて一晩で織ったものであるとされる。もちろん、これは伝説であり、実際は蓮の繊維ではなく絹糸の綴織(つづれおり)、唐からの伝来品であると考えられている。曼荼羅と言うが密教の曼荼羅とは関係無く、浄土三部経の一つである観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の教えに基いた浄土変相図だ。なお、オリジナルの当麻曼荼羅(国宝)は痛みが非常に激しく、現在曼荼羅堂に掲げられているものは室町時代の複製品(重要文化財)である。

2009年02月訪問




【アクセス】

近鉄南大阪線「当麻寺駅」から徒歩約15分。

【拝観情報】

境内自由。

本堂内部の拝観は拝観時間9時〜17時。
拝観料500円(5/13〜15の特別公開期間は600円)。

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