金剛峯寺不動堂

―金剛峯寺不動堂―
こんごうぶじふどうどう

和歌山県伊都郡高野町
国宝 1952年指定


 大陸から真言密教を日本にもたらし、平安仏教の礎を築いた真言宗の開祖、弘法大師空海。空海が修行の場として開き、今もなお禅定し続けているとされる高野山は、伝教大師最澄が開いた天台宗総本山、比叡山延暦寺と並ぶ日本密教最大の聖地である。標高800メートルの山上盆地に広がる高野山には、真言宗総本山の金剛峯寺を始め117もの寺院が建ち並び、一大宗教都市を形成している。特に金剛峯寺の壇上伽藍(だんじょうがらん)は、真言密教の思想を具現化した曼荼羅であり、高野山全体の、さらには真言密教全体の中心地として信仰を集めている。その壇上伽藍の東側に建つ不動堂は、高野山内における最も古い建造物の一つとして、国宝に指定されている。




平安住宅風の意匠を持つ、金剛峯寺不動堂

 平安時代の延暦23年(804年)、最澄と共に唐へと渡った空海は、長安の青龍寺にて恵果和尚(けいかかしょう)の元に付いて密教を学び、大同元年(806年)に帰国。かつて修行を行っていた高野山に真言密教の道場建立を願い、嵯峨天皇から高野山の地を賜ると、弘仁7年(816年)に堂宇の建設を開始した。しかし京都の東寺との確執や、正暦5年(994年)に伽藍が落雷火災で灰燼に帰した事もあって荒廃してしまう。しかしながら、その後の長和5年(1016年)に、祈親(きしん)上人こと定誉(じょうよ)が高野山を見事復興させ、以降は貴族や武士などの信仰を集めて大々的に繁栄した。江戸時代には200もの建造物がひしめき、「天下の総菩提所」と称されていたという。




前方右側の通り庇部分
蟇股や出三斗の様式も、鎌倉時代後期の特徴を示している

 金剛峯寺不動堂は、鎌倉時代前期の建久8年(1197年)に、鳥羽天皇の皇女である八條女院(はちじょうにょいん)ことワ子(あきこ)内親王の発願によって建立されたと伝わっている。確かに、不動堂の様式は平安時代の住居建築に近く、古式の様相を呈しているが、仏壇に見られる勾欄や、羽目板の格狭間の形などから鑑みるに、現存する不動堂は鎌倉時代前期に建立された当時のものではなく、鎌倉時代後期に再建されたものと考えられている。なお、この不動堂は、元来高野山への入口である高野七口の一つ、不動坂口の女人堂から下った付近である一心院谷に建てられていたが、明治41年に行われた解体修理の折に壇上伽藍の現在位置に移築された。




右側後部より見る不動堂
背面は屋根の処理方法が異なっている

 不動堂の規模は桁行三間に梁間四間。左右に桁行一間、梁間ニ間の小室が付属している。屋根は檜皮葺の一重入母屋造で、正面に一間の向拝が設けられており、また左右に小室が存在する為、庇を両側へ伸ばしている。正面左右の一間は通り庇となっており、その通り庇の屋根は、曲線が美しい縋破風で仕上げられていて非常に優美だ。不動堂の内部には、平安時代後期の不動明王像(重要文化財)と、鎌倉時代を代表する名仏師、運慶が建久9年(1198年)に刻んだとされる八大童子立像(8体のうち6体が国宝、2体は後世の補作)が安置されていた。特に矜羯羅(こんがら)童子は運慶の代表作として著名であり、その生き生きとした表情や、服などのリアルな造形には目を見張る。




壇上伽藍の中心である根本大塔
過去の記録を元に、昭和12年に鉄筋コンクリート造で再建された

 金剛峯寺の壇上伽藍には、不動堂の他にも数多くの建造物が建てられている。中でも大日如来を祀る根本大塔(昭和12年再建)は、高さ48.5メートル、一辺25メートルと非常に巨大な多宝塔であり、まさに真言密教の象徴としてそびえている。山上であるが故、落雷にも遭い易く、壇上伽藍の建造物は江戸時代末期から昭和初期にかけての再建が多いが、特に古いものとしては、金剛峯寺の鎮守社である山王院本殿がある。丹生明神社(一間社春日造)、高野明神社(一間社春日造)、総社(三間社流見世棚造、いずれも檜皮葺き)の三社から成る山王院は、室町後期の大永元年(1521年)に焼失した後、大永2年(1522年)に再建されたものであり、重要文化財に指定されている。




高野山の正門にあたる大門

 金剛峯寺は高野山全域が境内のようなもので、高野山そのものと言う事ができる。その高野山に入る道は全部で七つ。それらを総称して高野七口と呼ぶが、そのうち最も良く利用されていた大門口は高野山の正門とされ、高さ25メートルを超える巨大な大門がその偉容を誇っている。宝永2年(1705年)に建てられたこの大門は、五間三戸の二重門であり、江戸中期の代表的建造物として重要文化財に指定されている。なお、この大門口から麓の九度山までは、高野山への参詣道である町石道(ちょういしみち)が伸びている。かつてこの古道を歩いた参詣者たちは、一町(約109メートル)ごとに立つ道標の町石に手を合わせつつ高野山に向かったという、祈りの道である。

2008年06月訪問
2011年06月再訪問




【アクセス】

南海高野線「極楽橋駅」より南海ケーブル「高野山駅」までケーブルカーで約5分、「高野山駅」より南海りんかんバスで約10分「千手院橋バス停」下車、徒歩約5分。

【拝観情報】

境内自由。

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