竜吟庵方丈

―竜吟庵方丈―
りょうぎんあんほうじょう

京都府京都市
国宝 1963年指定


 京都における、禅宗寺院の寺格を表す京都五山。その第四位に名を連ねる東福寺は、まさに大寺院と言うべき極めて広大な寺域を有している。明治期の廃仏毀釈を経た今もなお、その境内にはは25もの塔頭(たっちゅう)が建ち並んでいるのだが、中でも本坊裏手のやや奥まった位置、洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を越えたその先に、静かにたたずむのが龍吟庵である。東福寺の第三世住持、大明国師(だいみょうこくし)こと無関普門(むかんふもん)によって開かれた龍吟庵は、国師が病に伏してから死去するまでの間、住まいとして利用されていた。その住居跡に建つ龍吟庵方丈は、現存する最古の方丈として極めて貴重な建築であり、国宝に指定されている。




玄関前から塀越しに方丈を望む
玄関は江戸時代のものだというが、方丈の附けたり扱いとなっている

 建暦2年(1212年)に信濃で生を受けた無関普門は、東福寺の開山である聖一国師(しょういちこくし)こと円爾弁円(えんにべんねん)の元で修行に励み、その後の建長3年(1251年)、宋へと渡って約10年間、各禅宗寺院に参禅した。弘長2年(1262年)に宋から帰国した普門は、その後の弘安4年(1281年)に東福寺の創建者である九条道家(くじょうみちいえ)の四男、一条実経(いちじょうさねつね)に請われ、東福寺の第三世住持に着任する。正応4年(1291年)には南禅寺の創建に伴い、亀山法皇にその開山として招かれたものの、80歳と非常に高齢であった事もあり、その年の秋に病に伏して東福寺へと帰山。龍吟庵を開いてそこに居を置き、同年12月、その生涯に幕を下ろした。




龍吟庵方丈の裏手に鎮座する開山堂

 禅宗寺院では高僧が死去すると、弟子たちがその墓所(塔)のほとり(頭)に庵を構え、亡き師を祀った。それが塔頭の起こりである。塔頭は次第に僧侶の隠居所としての性格を帯び、禅宗寺院における寺内寺院の意味合いとなった。一般的に塔頭は、師僧を祀る為の祀堂と、住持の住居兼客殿である方丈、それと台所兼一般僧の住居である庫裏から成る。龍吟庵もまたその通りの構成であり、玄関左手に方丈が、右手に庫裏が、そして方丈の裏手には大明国師を祀る開山堂が建つ。開山堂の内部には鎌倉時代の大明国師坐像(重要文化財)が安置されているが、それは大明国師が幼少期に患った、天然痘の後遺症であるあばたや斜視がリアルに表現された、極めて写実的な像である。




龍吟庵の表門と方丈

 龍吟庵方丈は室町前期の嘉慶元年(1387年)に建てられたもので、応仁の乱以前にまで遡る現存唯一の方丈建築である。その規模は桁行八間(16.5メートル)に梁間六間(12.9メートル)。屋根は一重の入母屋造で杮(こけら)葺きだ。平安時代からの住居建築である寝殿造から、室町時代に武士の住居建築として発展した書院造へと至るその過渡期にあるもので、双方の特徴を残す稀少な建造物となっている。その間取りは北側三室に南側三室の計六室であり、このような六間取の様式は方丈建築の典型であるが、中央の二部屋が脇の部屋より大きく、また方丈の中心を担う中央南側の部屋「室中」に仏壇が設けられていないなど、方丈形式が確立する以前の古い様式を今に残している。




龍吟庵の手前、偃月橋(えんげつきょう)から表門を望む

 方丈内部の天井は、面取りがなされた竿縁天井(さおぶちてんじょう)で仕上げられており、特に「室中」は天井が一段高く作られている。また正面の建具も、両脇の二部屋は寝殿造に用いられていた蔀戸(しとみど)であるが、中央の「室中」のみ両開きの双折桟唐戸(もろおれさんからど、半分に折り畳める桟唐戸)であるなど、そこだけは仏殿風の作りとなっている。方丈の東側には桃山時代の庫裏(重要文化財)が建ち、方丈の正面には同じく桃山時代の表門(重要文化財)が構えられ、さらにその南には洗玉澗の渓谷を渡る偃月橋が架けられている。屋根付きの渡橋であるこの偃月橋は、豊臣秀吉の正室、北政所ことねねが龍吟庵に通う為に架橋されたものであるという。




方丈西側に作庭された「龍の庭」

 明治期における廃仏毀釈の嵐は、大徳寺の塔頭である龍吟庵もまた無関係ではなかった。特に方丈周囲の庭園は、手入れが全くなされなくなってしまい、荒れるに身を任せる状態にあったという。昭和を代表する作庭家の重森三玲(しげもりみれい)は、龍吟庵のその現状を知ると自ら寄付金を集め、昭和39年(1964年)に龍吟庵の庭園を新たに作庭した。それは方丈の三方に及び、南には悟りを表した白砂のみの「無の庭」、西には黒雲を得て円を描きつつ昇天する龍を表現した「龍の庭」、東には大明国師が幼少の頃に天然痘を患い山に捨て去られた際、二匹の犬が国師を狼から守ったという伝説にちなむ石組を鞍馬の赤砂の上に表現した、「不離の庭」がそれぞれ広がっている。

2010年04月訪問
2010年11月再訪問




【アクセス】

JR奈良線「東福寺駅」より徒歩約15分。
「京都駅」より京都市営バス202、207、208系統で約15分「東福寺バス停」下車、徒歩約15分。

【拝観情報】

通常非公開。
毎年紅葉の時期に特別拝観が行われ、その際の拝観料は400円。

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