蓮華王院本堂(三十三間堂)

―蓮華王院本堂(三十三間堂)―
れんげおういんほんどう(さんじゅうさんげんどう)

京都府京都市
国宝 1952年指定


 京都は東山七条、煉瓦造の旧本館が偉容を誇る京都国立博物館の南には、鎌倉時代に建造された蓮華王院の本堂が横たわる。幅100メートルを超える、その極めて長大な建物は、桁行の間数から名を取って、三十三間堂と呼ぶのが一般的だ。本尊の千手観音坐像を中心に、所狭しと林立する千手観音立像は、訪れる者にあまりに強烈なインパクトを与える。その手前に並ぶ二十八部衆立像(にじゅうはちぶしゅう)もまた、鎌倉時代における写実主義の傑作として至高名高い。それら諸仏像に埋もれがちではあるが、三十三間堂の建物自体もまた希有なもので、室町時代以前の建造物が少ない京都洛内に残る古建築、しかも現存唯一の千体御堂(せんたいみどう)として貴重である。




全長121.7メートルの長大な堂宇である三十三間堂

 三十三間堂こと蓮華王院が建つその界隈には、平安時代中期の永延2年(988年)に公卿の藤原為光(ふじわらのためみつ)が創建した、法住寺(ほうじゅうじ)が存在する。平安時代末期の永暦2年(1161年)には、その法住寺を抱合するように後白河法皇の離宮である法住寺殿が造営された。その際の長寛2年(1165年)、後白河法皇が平清盛(たいらのきよもり)の寄進を受けて、法住寺殿のすぐ側に創建した寺院が蓮華王院である。当時は仏像を数多く作れば作るほど現世利益が得られると考えられており、また観音信仰が栄えた事も相まって、千体もの千手観音像が並ぶ長大な形式の仏堂、千体御堂が盛んに作られたのだ。蓮華王院本堂もまたそのうちの一つであった。




三十三間堂の南側妻面
その破風は若干小ぶりである

 創建当時、蓮華王院は本堂のみならず、不動堂や五重塔など、数多くの堂宇が並ぶ一大伽藍を有していた。しかし鎌倉時代の建長元年(1249年)に起きた大火によって、それらは灰燼に帰してしまう。その後の文永3年(1266年)、蓮華王院は本堂のみを再建して復興。この時に建てられた本堂が、現在に残る三十三間堂だ。以降、後白河上皇の御陵を守る法住寺と共に存続していったが、豊臣秀吉が天下人となった桃山時代には、秀吉が創建した方広寺に取り込まれ、また江戸時代に徳川家康が豊臣宗家を滅ぼすと、今度は家康によって祇園の綾小路から移転させられてきた妙法院の管理下に置かれた。それ故、三十三間堂は今もなお、妙法院によって管理が行われている。




本堂正面に設けられた、広々とした向拝

 三十三間堂とは言うものの、その外観は桁行三十五間、梁間五間である。これは、内陣にあたる身舎(もや、建物本体の事)の規模が桁行三十三間、梁間三間であり、その周囲に一間幅の庇が巡らされている為だ。屋根は一重の本瓦葺き切妻造で、正面には桁行七間、梁間二間の向拝が設けられている。かつては外部の柱や梁が朱で塗られ、内部は極彩色の文様で彩られていた、色鮮やかな建物であったという。正面全面、および側面の手前一間や背面の一部には和様の板扉が開かれ、それ以外の部分は連子窓(れんじまど)がはめられている。組物は出組で、中備は間斗束(けんとづか)。鎌倉時代には数少ない、日本古来の建築様式である和様を基調とした建築である。




連子窓が連なる本堂裏手
江戸時代には軒下を弓矢で射通す「通し矢」が行われていた

 三十三間堂の内部には天井を張らず、梁や垂木をそのまま見せた化粧屋根裏となっている。梁の構架法は、虹梁(こうりょう)の上にはもう一本の虹梁を架け、それらの間に板蟇股(いたかえるまた)を置いた二重虹梁蟇股だ。この虹梁に見られる木鼻(きばな)や、身舎柱が貫(ぬき)で固められている点などは大仏様の特徴である。本尊を祀る中央三間は内々陣と呼ばれ、その部分にだけは、格子状に組んだ木枠を持ち上げた、折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)が張られている。その下の須弥壇に鎮座する本尊の千手観音坐像は、墨書より運慶(うんけい)の長男である湛慶(たんけい)の手により、建長6年(1254年)に作られた事が判明しており、国宝に指定されている。




慶長5年(1600年)に豊臣秀頼が建てたとされる蓮華王院南大門(重要文化財)
この門の西側には秀吉が寄進したとされる太閤塀(重要文化財)が連なりっている

 内々陣の左右15間、極めて長大な内陣には階段状の須弥壇が据えられ、それぞれ500体ずつの千手観音立像が並べられている。本尊の背後に立つ一体を加え、計1001体の千手観音立像は、その全てが平成30年(2018年)国宝に指定された。1001体のうち124体が平安時代のもので、それ以外は復興時である鎌倉時代のものだ。そのうち鎌倉時代に作られたものに関しては、銘が残っているものも少なくなく、湛慶を始めとする鎌倉時代の主要仏師たちが、総出で刻んだ事が分かっている。それら千手観音立像の前には、写実主義の粋を極めた二十八部衆立像、及び躍動感溢れる風神・雷神像が安置されている。これらもまた鎌倉時代に作られたものであり、いずれも国宝に指定されている。

2007年11月訪問
2009年04月再訪問




【アクセス】

「京都駅」より京都市営バス100、202、206、207系統で約10分「博物館三十三間堂前バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

拝観料600円。
拝観時間は4月1日〜11月15日が8時〜17時、11月16日〜3月31日は9時〜16時。

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