清水寺本堂

―清水寺本堂―
きよみずでらほんどう

京都府京都市
国宝 1952年指定


 「清水の舞台から飛び降りる」。このあまりに知られたフレーズは、数多くの寺院が密集する京都の東山の中でも特に有名な寺院であろう、清水寺の本堂で生まれた成句である。戦後に法相宗から独立した、北法相宗の大本山である音羽山清水寺は、長い参道を登り詰めたその先、清水山(音羽山)の中腹に位置している。無数の長い束柱を立て、断崖にせり出すように建てられたその本堂は、懸造(かけづくり)、もしくは舞台造(ぶたいづくり)と呼ばれる様式であり、その優雅かつダイナミックな独特の趣は、訪れる人々の心を惹き付けて止まない。江戸時代初期、かつての本堂が焼失した際に幕府によって再建されたこの清水寺本堂は、懸造建築の筆頭として国宝に指定されている。




本堂の前には舞台が広がり、その左右には翼廊がせり出している

 清水寺の創建は、京都盆地に平城京が遷都してくる以前、奈良時代の宝亀9年(778年)にまで遡る。興福寺の僧侶であった延鎮(えんちん)が、夢のお告げに導かれるまま音羽山を訪れた所、そこには行叡居士(ぎょうえいこじ)という修行僧がいた。ところが行叡居士は延鎮に後を託すと述べると、姿を消してしまう。延鎮は行叡居士が残した霊木に観音像を刻み、祀った。その後の延暦17年(798年)には、征夷大将軍として蝦夷征討を成功させた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の寄進を受けて伽藍が整えられ、また弘仁元年(810年)には、嵯峨天皇から「北観音寺」という寺号を賜り、国家鎮護の道場と相なった。以降は観音霊場として人々の信仰を集め、栄えていく。




清水寺本堂最大の特徴である、林立する束柱

 清水寺の本堂は、康平6年(1063年)に火災で焼けたのを皮切りに、現在に至るまで総計9度に渡って焼失し、その都度再建されてきた。永万元年(1165年)には、興福寺と敵対していた延暦寺の僧兵によって焼き討ちされ、また文明元年(1469年)には、京都の大多数の寺院と同様、応仁の乱の戦火にかかり、焦土に帰している。今に残る清水寺の本堂は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に起きた大火によって焼失した後、江戸幕府三代将軍、徳川家光によって、寛永10年(1633年)に再建されたものである。幾度と無く再建されてきた建築ではあるが、その建物の規模や、現在のように崖上に舞台が伸びる構造は、平安時代の頃から変わっていない特徴だという。




東側から見る清水寺本堂
緩やかに膨らむ屋根の下に裳階が巡らされている

 清水寺本堂の規模は、桁行九間に梁間七間。屋根は檜皮で葺かれた一重の寄棟造で、南側以外の三方に裳階(もこし)と呼ばれる庇が巡らされている。正面である南側には板張の舞台が広がっており、それを挟むように左右二つ、加えて渡廊下へ繋がる西側にもう一つの計三つ、翼廊が付属している。これらの翼廊は室町時代の再建の際に付け加えられたものであるといい、その後の再建の折にも代々備えられてきた。舞台と翼廊を支える束柱は最長12メートルと、全国にいくつかある懸造建築の中でも殊に長く、その本数も139本と極めて膨大だ。そのような特異な地理的特徴も相まって、清水寺の本堂はその建築のみならず、境内地もまた国宝に指定されている稀な例である。




大きな蔀戸が特徴的な本堂礼堂

 本堂の内部は、奥側3間が本尊を祀る為の正堂(しょうどう)、手前3間が礼拝の為の礼堂(らいどう)、その間1間が相の間という構成である。このうち正堂と相の間の床は石敷きで、礼堂は板敷きだ。建具は外側へ跳ね上げる蔀戸(しとみど)で、舞台脇の翼廊や、なだらかな膨らみを有する照り起り(てりむくり)の入母屋屋根などと共に、平安住宅風の優雅な風情を漂わせている。正堂の中央には三基の厨子が安置されているが、これらもまた本堂の附けたりとして国宝扱いである。それぞれ、中央の厨子には本尊の十一面観音立像、右の厨子には毘沙門天立像、左の厨子には地蔵菩薩立像がそれぞれ納められており、特に本尊は頭上で両手を合わせるのが特徴的な「清水型千手観音」だ。




本堂の左側翼廊から眺める奥の院

 清水寺には本堂以外にも数多くの堂宇や塔、門が建ち並んでおり、その多くが重要文化財に指定されている。ほとんどが本堂と同じく江戸時代初期の大火後、寛永期の再建であるが、その中でも境内入口に建つ仁王門、及び馬駐(うまどめ)は、江戸時代の大火を免れたもので、室町時代後期の建造だ。かつて仁王門の近くにあったという子安塔も、最近の調査によって仁王門と同時期の明応9年(1500年)に建てられた事が判明した。本堂から谷を挟んだ左手に建つ奥の院は、本堂と同じく懸造で建てられている。本堂裏手に位置する地主(じしゅ)神社は、元は清水寺の鎮守社であったが、明治の神仏分離令により神社として独立したもので、現在は縁結びの神として人気を集めている。

2007年02月訪問
2010年11月再訪問




【アクセス】

「京都駅」より京都市営バス100、207系統で約20分「五条坂バス停」もしくは「清水道バス停」下車、徒歩約15分。

【拝観情報】

本堂の拝観料300円、本堂以外は境内自由。
拝観時間は6時〜18時(ただし夜間特別拝観中は6時〜21時30分)。

【関連記事】

京都市産寧坂(重要伝統的建造物群保存地区)
古都京都の文化財(世界遺産)