―勝興寺 本堂、大広間及び式台―
しょうこうじ ほんどう、おおひろまおよびしきだい
富山県高岡市 国宝 2022年指定 ![]() 富山県北西部の高岡市、小矢部川が富山湾へと注ぐ河口の左岸に位置する伏木(ふしき)の町は、かつて国府や国分寺が置かれていた古代における越中国の中心地である。その国府が存在したと伝わる台地の上に、現在も広大な伽藍を構えているのが雲龍山勝興寺である。東西約145メートル、南北約180メートル、中世城館の様相を呈する堀と土塁によって囲まれた境内には江戸時代に整備された堂宇や殿舎が建ち並び、後世の夾雑物がない当初から変わらぬ寺院景観を今に残している。そのうち境内の中核を成す「本堂」と「大広間及び式台」は本山に準じる別院格寺院として破格の規模と形式を誇り、全国的に見ても大型真宗寺院の典型であることから国宝に指定された。 ![]() 勝興寺本堂を正面から見る
多数の建登せ柱(通し柱)や軒支柱を駆使して巨大な堂宇を実現している 勝興寺は文明三年(1471年)に本願寺の蓮如(れんにょ)が北陸布教の際に築いた土山(どやま)御坊を前身とする。戦国時代に移転を繰り返したのち、天正十二年(1584年)に佐々成正から土地の寄進を受けて現在地に移った。江戸時代の正保三年(1646年)には本願寺十二世准如(じゅんにょ)の六男である良昌(りょうしょう)が住持となり、そこに加賀藩二代藩主前田利常(まえだとしつね)の養女が輿入れしたことで本願寺及び前田家との強固な関係を築く。宝暦六年(1756年)には五代藩主前田吉徳(まえだよしのり)の十男・法暢(ほうちょう)が住持となり、明和八年(1771年)には還俗した法暢が前田治脩(まえだはるなが)として十代藩主に就任し、勝興寺を篤く庇護した。 ![]() 側柱と入側柱を繋ぐ海老虹梁や尾垂木付きの二手先が目を見張る本堂の軒回り
現在の「本堂」は前田治脩による援助を受けて安永四年(1793年)に着工し、寛政七年(1795年)に遷仏して竣工した。本願寺阿弥陀堂の絵図をもとに、地元大工と考えられる滝川喜右エ門(たきかわきえもん)が采配を振るい、加賀藩御大工として多数の大型建築を手掛けた山上善五郎(やまがみぜんごろう)に技術指導を仰ぎつつ築き上げた。境内の南寄りに東面して建ち、桁行約39.3メートル、梁間約37.5メートル、高さは約23.5メートルと地方の仏堂としては屈指の規模である。屋根は平入の入母屋造で金属板葺き、正面に三間の向拝を付す。軒は二軒繁垂木、妻飾は二重虹梁大瓶束として虹梁間に唐獅子牡丹の彫刻を嵌めている。大棟の上には背の高い箱棟を載せ、その両端に鬼板を付ける。 ![]() 近世真宗寺院本堂の典型的な平面形式を用いている
内陣を荘厳に飾りつつ、外陣は多くの門徒を収容できる広さを確保している 本堂の主体部は桁行九間、梁間九間であり、前方六間を外陣、後方三間のうち中央三間を内陣、両側三間ずつを余間とし、外陣のうち内陣側の二間は矢来として区分する。外陣の外側には広縁と落縁を巡らし、落縁の外側に軒支柱を立てて海老虹梁で側柱と繋ぎ、側柱と入側柱もまた海老虹梁で繋いでいる。柱間装置は外側に幣軸構両折桟唐戸、内側に障子戸を立てる。内陣と外陣の境を成す円柱や長押、欄間彫刻、両折巻障子などには金箔を押し、柱上部や虹梁、組物には極彩色で紋様を描いて荘厳な内部空間を演出している。内陣は一段高くした拭板敷とし、折上格天井で菊花紋を描く。後方に寄せて来迎柱を立て、その前に黒と朱の漆で塗り分けた禅宗様の須弥壇を据えて金箔押しの厨子を安置する。 ![]() 「大広間及び式台」のうち入口にあたる式台部分
境内の北寄りに東面して並び建つ「大広間及び式台」は、浄土真宗における対面所(公式の接客・集会の場)の建物である。いずれも正面入母屋造、背面切妻造の杮葺きであり、そのうち「大広間」は良昌の入寺に伴い境内が整備された17世紀中頃の建造と考えられている。桁行約18.5メートル、梁間約15.8メートルの規模であり、東側に板敷の廊下を備え、廊下の南端からは本堂への渡り廊下が接続している。北側は一間半、南側は一間の畳敷きの広縁を付ける。二列の部屋のうち北側は大床へと向かう奥行きの深い二室の広間、南側は東から「三の間」、「二の間」、床付きの「一の間」とし、一の間の南側には付書院と違い棚、ならびに火灯口を設えた「上段」を構える。 ![]() 「大広間」は17世紀中期に遡る対面所として希少である
「一の間」の床壁には鶴に松の障壁画が描かれ、格式の高い「上段」を備える 大広間の北側に接続する「式台」は鉄砲の間とも呼ばれ、武家の御殿における遠侍(待合室)にあたる建物である。平成十七年(2005年)から令和二年(2020年)に行われた修理工事に伴う調査によって大広間よりも後に築かれたことが判明しており、18世紀後半の建造と見られている。桁行約16.5メートル、梁間約19.5メートルの規模であり、正面にむくり屋根の式台玄関と脇玄関二口を備え、玄関寄りに床付きの二室を並べ、その背後に廊下を介して板間の三室を配している。この式台が築かれるまで、玄関は大広間の南東側に位置しており、現状の三の間を式台とする二列並びの平面であった。これは真宗の対面所における最初期の例であり、整備過程を示す遺構として歴史的価値が極めて高い。 2019年10月訪問
2023年04月再訪問
【アクセス】
・JR氷見線「伏木駅」から徒歩約5分。 【拝観情報】
・拝観料:無料。大広間と本坊の見学は文化財協力金として大人500円、中高生200円、小学生100円。 ・拝観時間:3月〜11月は9時〜16時30分(入場16時まで)、12月〜2月は9時〜16時(入場15時30分まで)。年末年始(12月29日〜1月3日)は大広間と本坊の見学不可。 【参考文献】
・「月刊文化財」令和4年12月(711号) ・[国宝] 雲龍山 勝興寺 ・勝興寺 本堂|国指定文化財等データベース ・勝興寺 大広間及び式台|国指定文化財等データベース 【関連記事】
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